夜の蝉 筆も進まず ただ焦る

パパヒガ

2018年08月10日 23:18

皆さまこんばんは。お久しぶりのパパヒガです。

あまりの多忙でブログの更新をする暇もなく、ただただ、ご依頼者の解決と、

ご縁のあった皆さま、これからご縁のあるであろう皆様のご多幸と繁栄、そして安泰。

及び、次世代の育成に頭を悩ませる日々であります。


ひとしきり一日の課題を終わらせ、次の課題へと立ち向かうのですが、

課題をクリアしたと思ったら、そこから生まれる新たな課題。

まるでイタチごっこのよう。


「もうダメか?」

「イヤイヤ、まだまだだ、何かしら手はあるハズだ!」


自身で「ダメ」だと諦め、そこから進まない事態に陥ったとしても、

そこで立ち止まれば「失う」だけであります。

でも、どれだけ無理難題が舞い降りてきたとしても、そこを突破する手立ては必ず隠れていると思っています。

夜になくセミを見つけると、昼間だけでは課題を解決できず、それでもなお何とか未来を紡いでいきたいのではないかと・・・。

きっとあのセミたちも焦ってるんだろうな・・・

昼間の作業だけでは足りず、残業して夜も頑張ってるんだろうなと、ふとそんなことを自身と重ね合わせてみたりする。

セミたちは焦ってるのかな・・・

イヤイヤ、ただひたすら一所懸命なだけなんだろうな。


焦りがあるなんてのは余裕がまだまだあるってことなんだろうか。

本気で焦ったとき、そこからは純粋な・・・

すべてを一点に集中するような・・・


全てをあるがままにまかせます・・・みたいな。


まさにもうこれは「南無三」ってな感じなのでしょうかね。



私は幼いころから剣道を習いました。


あるとき、猛烈な稽古をしたことがありました。


大きな大会を控え、自身の技を磨くため、それはもう過酷な稽古をしたのです。

あまりにつらくて、あまりに疲れて、

なんでここまでやらなければならないのかと、稽古の途中でジャカジャカ涙があふれ出てきました。

それでも、稽古をつけてくれている師範はおかまいなしに稽古を続けました。

やがて私は涙も枯れ、声も枯れ、それこそ放心状態のようになっていたのですが、

ある瞬間、辛いとか、悲しいとかという感情が消え去り、

とても純粋な、それでいて攻撃的な心が沸き上がったのを覚えています。


「コイツ(師範の事)、メッタメタにしてやる」


おそらく、その時の私は、暗殺者のような殺気を体中から出していたでしょう。

その時の感情はとてもピュアで、自分の持っている竹刀がまるで真剣のように思えていて、

一太刀で相手を切り裂いてやるという念を発していたのではないでしょうか。



しかし不思議なことに、心に動揺などの想いはナシ。


無風の湖面のように、クリアな精神状態だったのです。


あの経験は、「追い詰められた時こそ人はその真価を発揮する」と学びました。


焦るなら思いっきり焦りまくっても良い。


土壇場で慌てて失敗するならそれも良い。


ただそこで、悲しいと泣き叫んでしまいにするのは寂しい。


もがいてもがいて、もがきまくって。


そこからはきっと「光」が差してくると・・・。



私はそう、強く思っています。


それではみなさま、おやすみなさい。


長文、駄文をお許しください。


パパヒガより





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