2018年07月23日
幸?福? 私たちが求めているモノは何なんだ!
皆さまこんにちは。未来創造のお手伝い・・・パパ比嘉です。
ここ一週間、多忙に多忙を極め、ブログの更新もままなりませんでした。
また、多忙の合間のふとした休みの瞬間でさえ、深く深く思考と感覚の深淵に触れていて、
ふと気が付けば次の予定。
走り回っておりました。
![幸?福? 私たちが求めているモノは何なんだ! 幸?福? 私たちが求めているモノは何なんだ!](http://img01.ti-da.net/usr/y/u/t/yutapapaokinawa/070123run.gif)
本土からいらしたご相談者の方々。
今まで、様々な職種の方々がらしてくださいました。
宗教者の方も少なくありません。
そんな方たちの中で、今でも強く印象に残っている方がいらっしゃいます。
その方の一番のご相談内容が・・・
「幸せについて、比嘉さんのご意見を伺いたい」
とても広義な質問でした。
幸せにはいろいろな形があり、どれが「確かな幸せ」なのか、それはそれは難しい。
私はご相談者と長時間話し合いました。
互いの経験から感じ取った、取得した幸せへの考え方。
宗教観から見える幸せについて。
現代の幸せ。過去の時代の幸せ。
風邪をひいたとき、健康が一番だと思い知らされる幸せ。
お金があるかないかで変わる、生活様式。
何かを信じ、そこを拠り所として生きる幸せ。
定められた戒律に従うことで、不幸から少しでも遠ざかろうとする知恵。
牛や馬に引かせる荷車が発明され、たくさんの貨物輸送が可能になった当時はそれが幸せな道具になってましたが、
自動車が発明され、汽車が発明され、もっと多くの貨物輸送が可能になったとき、荷車の価値はどうなったか。
ご依頼者と私。
昼から始まった面談は、やがて月が天に上るまで続きましたね。
そこで出たまとめが以下です。
幸せには二種類ある。
ひとつ・・・・比較する幸せ
ひとつ・・・・絶対な幸せ
比較する幸せとは何か。
それを支配するのは「欲望」。
もっと〇〇が欲しい。
もっとお金が欲しい。もっと名誉が欲しい。もっと健康が欲しい。もっと人と仲良く生きていきたい。
幼少期~学生時代。
自身の学業、スポーツの成果を知るには、他者と比較して初めて自身の位置が分かります。
テストで90点を取った(100点満点中)。
でも、自分以外のクラスのみんなが100点。もしくは、90点が最下位ならそれは確かな幸せとは言えない。
就職した。優秀な企業に入った。皆からうらやましがられた。給与も良い。
それで満足なら良いのですが、落ちこぼれだった同級生が起業して社長となり、
自分より良い地位と給与を得ていると知ったとき、はたして自身の状態に満足できるかどうか。
比較して得られる幸せにはたくさんあります。
それがダメであるとは言っていません。むしろ、それがあるからこそ
私たちは身近に、即座に幸せになることが出来ますし、
更なる幸せを追い求めて競う、切磋琢磨することも出来るのです。
ただひとつ、惜しいことに・・・・
その幸せは「永久に続く」ことは保証されません。
いつかはそれに「飽き」ます。
今まで幸せだったと思えていたものが色あせていき、
その欲望にはキリがありません。
絶対的な幸せとは何か。
一言で述べると、比較しない幸せ。
あれこれと事例を出そうとしても、それがなかなか難しいです。
究極の答えとしたらこうです。
「人間に生まれてきて良かったと思えること」
バイクが好きな人がいたとします。
バイクに乗れている生活を送っています。
ただそれだけで有難いと思えるかどうか。
もしもカマキリとしてこの世に生まれてきていたら、バイクには乗れない。
もしも自分が魚として生まれてきていたら、いつ捕食されえるかわからない不安、
空を飛ぶことも出来ない不自由さがあったことでしょう。
(魚に生まれたとして、そこまで考えられるかどうかはありますケド)
愛する人、大好きな人がいたとして
言葉で「愛」を伝えられる。
文字で「愛」を伝えられる。
行動で「愛」を伝えられる。
そのものの有難さを感じられるか否か。
人間として生まれてこれたそのものを慈しむこと。
「死」 「病」 「老」 「生」
それを受けとめて、それらを丸ごと受け止めて。
それでもなお、「人間にうまれて良かった」と。
それには飽きがなく、永続すると思われます。
そんなことをふと思い出し、今日ここに書いてみました。
Posted by パパヒガ at 12:06│Comments(0)
│幸せへのヒント・・・過去の面談から