2014年06月25日
〇谷村のとある「人」を・・・
実は最近、〇谷村のとある御人について遠隔にて・・・ね。
何故にその方はかたくなに「反目」するのか。
何が彼をそうさせているのか、考えてます。
うちの百太郎先生は、「たとえそれが幸せにつながる道だとしても、それを望むが故に『願掛け』してはいけない。流れを待て」と言います。
ですが、「待てない」という言い分も理解できます。
しかしなんでそうなのか・・・。
誰もが「損をしない」ということはなかなかありません。
損か得かと考えれば、それはある人にとっては得かもしれないし、損かもしれない。
「徳」だと考えれば、損をする人はいない。徳は徳を呼ぶだけ。
たとえ「徳」のためとはいえ、それを「誘導」する拝みは「呪詛」になってしまう。
だから、「誘導」はできない。
あくまでも、「気付き」であるべきなのですが・・・。
私自信もしっくりこない「何か」を感じています。
なんなんだろうか・・・・。
もうちょい考えます!
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何故にその方はかたくなに「反目」するのか。
何が彼をそうさせているのか、考えてます。
うちの百太郎先生は、「たとえそれが幸せにつながる道だとしても、それを望むが故に『願掛け』してはいけない。流れを待て」と言います。
ですが、「待てない」という言い分も理解できます。
しかしなんでそうなのか・・・。
誰もが「損をしない」ということはなかなかありません。
損か得かと考えれば、それはある人にとっては得かもしれないし、損かもしれない。
「徳」だと考えれば、損をする人はいない。徳は徳を呼ぶだけ。
たとえ「徳」のためとはいえ、それを「誘導」する拝みは「呪詛」になってしまう。
だから、「誘導」はできない。
あくまでも、「気付き」であるべきなのですが・・・。
私自信もしっくりこない「何か」を感じています。
なんなんだろうか・・・・。
もうちょい考えます!
Posted by パパヒガ at 23:14│Comments(0)
│パパの普通の日記