皆様こんばんは。パパ比嘉です。
ご依頼者にとって「良いアドバイス」とは何だろう?
良き未来が浮かばない時・・・
それをそのまま伝えるべきかどうか・・・
それに耐えうる心の強さがあるか、否か。
たとえあったとしても、それでも伝えたほうが良いのか・・・。
1月4日より2018年の鑑定スタートいたしました。
現在、一日に二件限りの予約とさせていただいております。
ご予約は→siawasesagasi05@yahoo.co.jpまで!
コチラをクリック→「琉球の未来鑑定師 時之大屋子 パパ比嘉」
鑑定面談をしていると、ご依頼者にとってあまりよろしくないことが判断で出ることがあります。
そういう時、すべてをさらけ出してお話ししたほうが良いのか、
それを回避する方法をお伝えし、話さないようにするべきなのか・・・。
胃がズキンと痛むほど悩むことがあります。
そういう時、ご依頼者の心の強さをじっくりと見定めることを心がけています。
未来鑑定でありますから、それは「可能性」という範囲です。
確定した未来では決してありません。
ちょっとしたことで未来は変わります。
今まで良くない運気だったのが、ちょっとした「善徳」から一気に運気が変化するのはよくある事。
しかし、「善徳」を呼び込むのに絶対に必要なのが、「笑顔」だったり、心の余裕だったりします。
でも、もしも良くない未来が待ち受けているかもしれないという不安が心の中になる状態で
果たしてそういう「善徳」を呼び込めるのか?
例えば、お金のたまりにくい運気がやってきそうな状態をご依頼者にそのままお伝えし、
せっかく前に進もうと思っているご依頼者に「余計な不安」を与えることは、「善徳」をしようという状態にならないのではないか。
自分が救われない状態かもしれないときに、他者を応援したり、助けたりする余裕が出来るのだろうか?
それでも真っ正直にあるがまま伝えなければならないのか・・・。
果たしてそれは本当に・・・そういう未来なのか?
これはいつも自分自身に自問自答します。それで当たっているのかどうか・・・。
※霊視の場合、とても慎重に、何度も何度も自問自答しながら再確認を繰り返しているのです。
私は、霊視だけで詳細な鑑定をしません。
守護していただいている神仏のお力として、真言密教の秘術を使わせていただいております。
仏教生誕から培われてきた人の運命、宿命、運の質・流れという占術の学びも「ご縁」あってさせて頂きます。
また、琉球のクリユン、算命学も合わせて総合判断させて頂いております。
それでもなお「よろしくない未来」が出てきたとき、躊躇します。
「十善戒」という戒めがございます。
真言宗において、仏道修行する者の戒めとしているものでございます。
私も、早朝、深夜の一日二回、事務所にある不動明王像、阿弥陀如来像、大日如来像、聖観音菩薩像、その他諸尊の前にて、
「十善戒」を読経しております。
十善戒
現代語訳が様々な解釈で世間に広がっております。
その中で、「嘘はつかない」という戒めがございます。
同時に、「他人をおとしめる言動はしてはいけない」という戒めもございます。
良くない判断が出て、それを伝えないことは「嘘をつく」ことになるのではないか?
仮にそれをすべて伝えたとして、ご依頼者が落ち込んで立ち直りに時間がかかるようなことであれば、それは「おとしめる」ことになるのではないか・・・?
この悩みが尽きるということはおそらくこれからも無いでしょう。
ずっと、ずーっと悩み続けると思います。
ご依頼者にとっての良き判断とは何か?
方便品(妙法蓮華経方便品第二)を学ぶと、言葉の力、大事さをひしひしと感じます。
相手が受け入れやすい言葉といいまわしの技術が大事であるということが、その「方便品 妙法蓮華経方便品第二」の一部として書かれております。
それを応用してお話しすることを心がけておりますが、しかしそれは「二枚舌」を使うことにならないか?
霊視にもご依頼者との相性があり、うまくいくときもあれば、そうでないときもございます。
うまく行き過ぎたとき、ご依頼者のお気持ちは果たして「幸」な状態であるのか?
例えば、小さなお子さんの未来鑑定を受け、よろしくな未来の可能性をお伝えする。
数年後、その通りとなる。
鑑定で出たことではあったが、そうなるハズがないと無視をして対策をしなかった。
対策をしていれば変わったかもしれないが、それは「受け入れる」という重く苦しい心の状態が続いてしまうことになるのです。
これが「悪い循環」を呼び込まないかと心配になる・・・。
聞きたくなかったことをお伝えするのは・・・・
悩みます。
とてもとても悩みます。
悩みながらすこし横になって休むことにしました。
いつかまたこの続きを書いてみようと思います。
皆様おやすみなさい。
パパ比嘉でした。