「あーっ、私って死んだんだ・・・」
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告別式・・・・死者への弔い。
それはそうなのだが、これは故人に対して、
「あなたは死んでしまいました。それでこうやってお弔いの儀式をしてます」
・・・と、故人に確認させているわけでもあります。
そして、故人はあの世へ行くための準備作業にはいるのですが、この準備期間がいわゆる「49日」。
この「49日」がどこからきてるのかについて。
以前、チベット密教のひとつ「バルド・トェ・ドル」という経典について書かれた本を読みました。
これは死者に対し、49日間の間、不眠不休で死者に語りかける儀式です。
49日までに「まばゆい光」(いわゆる天国とか、輪廻への門)に入れないと、天国ではない世界(畜生の世界、地獄など)に落ちてしまうぞという経典です。
一般的に「死者の書」と言われております。
この経典のスゴイところはですね・・・その中身よりも興味深い点に注目です。
この経典、死者の耳元で唱えます。チベット仏教の考え方。死んだものでも耳だけは聞こえるという考え方。
実はですね、心停止したとはいえ、聴力だけはギリギリ最後まで残っているそうなんです。
つまり、心臓が止まってしまっていても、耳だけは聞こえてるということ。
何故、チベット密教の経典「バルド・トェ・ドル」は、そのことを知っていたのか?
科学的根拠なんてないハズです。今の医学界だって、それを検証するのは難しいでしょう。
なぜなら・・・・
死んでも、耳は聞こえたよという事実を確認できるのは、死者と対話するしか調べる方法がないからです。
では、何をもって「死」とするのか。
例えば、心停止してから24時間経過後に「死」と認定するのが現在の日本での定義かもしれません。
なぜなら、火葬という、生き返るのが不可能な状態にするのは、心停止後24時間経ってからじゃないとダメなんです。
そして、臨死体験というヤツにも注目ですね。
心停止後の臨死経験者の話には、おどろくほどの共通点があります。
「まばゆい光」「お花畑」「家族の泣声が聞こえた」「医師の『ご臨終です』の声が聞こえて慌てた」とか・・・。
さて、後者の2例。声が聞こえた・・・。これが聴覚は最後まで生きている証明になるかもしれません。
「バルド・トェ・ドル」に限らず、日本にも「お通夜」という儀式があります。
故人を囲み、一夜を過ごす。読経と共に・・・。
「あなたは死んだんですよ」と唱えるのです。(生き返った例もあるようですけどね)
近年、49日法要を、初七日で同時に行うとい手法が目立ちます。
色々とご事情があるかと思いますが、できるだけ49日法要をやってあげてくださらないでしょうか?
「お金がかかる」「手間がかかる」という理由もあるでしょう。
ですが、こじんまりとでもいいですからお願いしたいです。
なるべくゆっくりと・・・あの世へ旅立つ支度をさせてあげたく思うものですから・・・。