二段飛び越し、三段飛び越し・・・タブーなんですが・・・。
ウガンするときの注意。
通常、というか、ユタ修行している時のルールとして・・・。
ウガンをする場所神様御先祖様仏様ウタキ様・・・その他諸々の神さまへウガンするときに、順番を重んじます。
自分にとって身近な御先祖様から始まって、地域のウタキ、地域の大御先祖(根家)、ほんで村を守る神様(ムラユチン)・・・沖縄を守る神様(国ユチン等)という風に順番があります。
でもですね、地域、根家、ムラユチンのウタキ、ウガンジュが「無い」場合がココ最近目立ちます。
「場所」はあったとしても、「ソコ」にはいらっしゃらなかったり、「ソコ」にいらっしゃるのだけれども、もう誰も祀っておらず、雨ざらしになっていたり・・・。
誰も参らず、雨ざらしの荒れ放題になってしまっているウタキやウガンジュは、まず「復興」させなければなりません。
「復興」はかなりの時間と労力、人力が不可欠です。
復興させるにも、そこが民家の敷地になっていたり、でっかいマンションが立っていたり・・・。
さぁ、こうなるともう大変です。
一人でやることも可能ですが、そこには回りの人の、「あぁ、頑張って復興してくれてありがとう」っていう思念が必要。
回りの人々の、「何やってんだ、アイツは。頭おかしいんじゃないの」などの雑思念が復興中にはいったらばそりゃ大変。
振り出しに戻ったり、か~な~りの時間がかかったり。
それ「言霊」自体が「生霊」みたいなモンになり、復興を妨げますのよ。
私の場合、ウガンの順路に「生き身」の思念が入るリスクが多いなら、あえて「段とび」をします。
例えば、ある家族が霊の障りを受けている。
本来なら、先祖に供物を捧げて「生まれてこれた感謝」を伝え、そのうえで地域の神様へ御挨拶をとり、力を貸してくださいと願うところです。
しかし、先祖を祭る仏壇の持ち主が、こういった「ユタごと」(ウガン)に対して偏見があったらば、その場でもう「生き身」の思念が入るんです。
「何やってんだ、いったい・・・。」
順番は大事であると私は認識しています。
しかし、時代がその順番を妨げる。
「神様・・・、こういう世の中をなんとか変える。御先祖への感謝、地域の神々への感謝の気持ちをまた持ち直すよう頑張ります」
そう、常々想いながら。神々に訴えながら「段飛び越し」をやっています。
こういうタブーに対し、大反論する方が多いと思います。
すみません・・・。
早く順番が守れますよう、科学的世界の顔をもうひとつ持っている私が、毎日啓蒙活動にいそしんでます。
いつか来てほしい。
お正月前などの祭事の際。地域のヒヌカンやウブガー。ワクシンや根家にて、「感謝」の想いを伝える人々がいっぱい増えることを・・・。