心霊スポット・・・
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心霊スポットってありますよね。
廃墟ホテル、廃病院、廃校跡、城跡・・・
幽霊っていうのはいわゆる「元人間」。
つまり、元々は私たちと同じ人間なわけです。
そんな彼らが何故にそういう場所にたたずんでいるのか?
この世への未練という「足かせ」があるからでしょう。
「もっと生きたかった」 「やるべきこことがある」 「心配だ」 「恨んでいる」 「呪ってやる」など・・・。
私は様々な場所に行かされました。
そして思う事があります。
なかなかあの世にいけないのは何故?
「執着」の種類と度合いでした。
何が原因でこの世にいるのか?
「もっと生きたかった」理由のほとんどが、「人生をやり直したかった」という想いや憂いが残ったままの方々が多かったです。
その他、「もっと学びたかった」 「違う生き方をしたかった」 「もっと家族と一緒に居たい」・・・。
こういう方たちは、「話し合い」で解決することが多く、生きている人間となんら変わりない態度で接することで、すんなりと納得してくださる場合が多かったように思います。
厄介なのは、「恨み」 「妬み」 、そして・・・強すぎる家族への想い、「心配だ」。
恨みや妬みのほとんどが、お金のトラブルや人間関係のトラブル。
ですので、その姿もかなり厳しいですね。
恐怖という文字が当てはまる姿。
しかし、やっぱり彼らも「元人間」です。
恐い姿をしてはいますが、だからといってそれにビビッていてはどうしようもない。
ここは気持ちを強くもって、「礼節」を説きます。
「あなた、大変辛い想いをされていらっしゃるとは思いますが、そういう姿や声色で人と接すれば、誰だってあなたを避けるでしょう」
「あなたはますます人を遠ざけ、恐がられ、近づくことも出来ず・・・。それは一人ぼっちを生み出すだけです。」
「そのままでいたいのならそうしなさい。しかし、人の助けが欲しいなら、それなりの礼節をもって接しなさい」
「あなたの今の現状を、かつてあなたが人間だった頃の愛する人に見てもらったとして、あなたはそれでいいのですか?」
「あなたのその姿を、喜んで受け入れてくれる人がいますか?」
彼らだって十分に理解しています。このままじゃダメだってこと。
塩を撒かれて嫌われて、助けを求めにいったら「徐霊」され。きついお経でひっぺがされ。
救済の光がまぶしすぎて近寄れず。
同じ仲間が集まり出して、「このままでいようよ」とそそのかされて。
いつしか自分のことも忘れ。
気がつけばそこから動けなくなってしまっている。
この状態は、「心配だ」としてさ迷う魂にも当てはまります。
「残した家族が心配だ」 「子供が心配だ」 「会社が心配だ」 ・・・
こういったさ迷う魂に共通しているのは、「信用」するという意識が欠けているということ。
人を信頼するという能力が欠けていると、こういう状態になりやすいです。
信仰心に欠けている場合もそう。
「今の成功は全て自分のおかげであり、他人の手助けなんて関係ない。」
「先祖なんてまったく力にならない。無でしかない」
「神や仏なんて空想の産物であり、まったく非科学的だ」
こういう魂さんたちは、とっても説得しにくいです。
何を言っても聞き入れない。
こんな時、百太郎先生の出番です。
魂さん達は「驚愕」の表情をし、やがて沈静しはじめます。
先生が「何を」見せ、「何を」語ったのかは書きません。
しかし、それは強烈であります。
私がさまよう魂だったとしたら、しょんべんちびってしまうでしょうね・・・。
さて、「呪ってやる」は・・・これは天地の差があります。
一発逆転ホームランの如く、一瞬で説得に応じる場合もあれば。
「あぁ、これはダメだ・・・触らないでおこう」と思うものもあります。
事件や事故、自死の場合にこういう状態になることがあります。
しかし、多くは一瞬で説得に応じます。
問題なのは、「応じない」方々。
もはや言葉は通じない。
ひたすら「生き血」を吸うことばかりに執着しています。
無理を承知でひっぺがすしかないですが、時間と労力が莫大にかかるんです。
「必要悪」なんて言葉は使いたくないですね。
彼らだってわざわざそうなるために生まれてきたんじゃないですから。
しかし、どんな場合でも「礼節」をもって相対します。
弟子さんも、いつかそういう学びをせんといかん。
今は社会生活を謳歌しております。
こういう時間はとても大事です。
ですから、今しばらくは様子見です。
体調も良く、ちょっちゃそっとで倒れることもほぼないようです。
何かおかしな事態に直面しても、自分で外せるようになっていると思います。
恐怖を感じる場面でも「礼節」を通す。
そろそろお盆も近づいてきました。
弟子さんの、「キツイ」学びを始めるかどうか、悩んでます。