ちゃっさ学あてぃん 心ねーんねぇ ぬーんならんどー

パパヒガ

2014年06月11日 00:01

「ちゃっさ学あてぃん 心ねーんねぇ ぬーんならんどー」


どんなに学んでいても、心がなくては 何にもならない


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修行中によく「元ユタ」のおばぁに言われましたねぇ~。

めっちゃやさしい笑顔でね~。


どんだけ儀式を勉強しても、どんだけウタキの学びをしても、どんだけ力を磨いても、『相手を思いやる心』がなければ全然ダメ!・・・ですって。

これはなにもユタだけに限らず、どんな業種や職種にも当てはまりますよね。

そして・・・、

「なんらんくとーならん ならんでぃ うむれーから ならん ないんでぃ うむれーから ないん」

出来ないことは出来ない 出来ないと思ったら出来ない 出来ると思ったら出来る。


もうね、あまりにも当たり前な言葉なんですけど、出来ないって初めから諦めれば確かにできないし、やる努力や意欲もほとんど出てこないもんです。

出来る!・・・というか「やる」って決めたらば、それをどうやってやるか「しか」考えなくなるもんです。

はなっから「出来ない」って決め付けたとき、そこから始まるご縁は薄いです。

ですが、「やれるかも!」っていう希望が少しでもあれば、そこから「ご縁」は広がります。


そして、皆が「できないよ」って言われたことに、「いや、出来る方法はどっかにあるはずだ。」となったらば、その気持ちから湧き出るエネルギーは、モノを呼び寄せ、思考を呼び寄せ、人までも呼び寄せます。

どんなに「出来る方法」を知っていても、「やろう」という気持ちがなければ何もならない。

さて、どうやれば「やる」んでしょうかねぇ・・・。



私はですね、今までやった修行をですね、神仏御先祖様との交流パーティーのような「感覚」を持って楽しんでやってみました。

体調が苦しくなることもありました。「このまま死ぬんじゃないか」って思ったことも多々あります。


鑑定するようになって、「ホントにこれでいいのか」と自問自答するのはしょっちゅうあります。

なぜなら、依頼者さんが明るい未来の道を歩いていけるのに、この方法だけで大丈夫かと思うからです。


なぜ「そこが」不安になるかというと、「幸せになりたい」と思っていらっしゃるにもかかわらず、どこか「心」のなかに・・・


「このままでもいいや・・・」

・・・っていう想いを見るときがあるからなんです。


「このままもいい」・・・・そういう心が見え隠れした時、あぁ、このままじゃ・・・と思うのです。


神仏御先祖様は間違いなく子孫の幸せを望んでます。


このままでもいいというのなら、そのままのバックアップを御先祖様はします。

本当は、もっともっとバックアップしたいってウズウズしているのに・・・。


「私・・・このままでもいいや・・・」


心がついていかない状態での「幸せさがし」は、常に不安と不快がつきまといます。



あなたは本当に、幸せの道を歩きたいのでしょうか?

どんなに幸せになりたいと思っていても、心の力が伴っていないと、どうにもなりませんよ~。



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