「ちゃっさ学あてぃん 心ねーんねぇ ぬーんならんどー」
どんなに学んでいても、心がなくては 何にもならない
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修行中によく「元ユタ」のおばぁに言われましたねぇ~。
めっちゃやさしい笑顔でね~。
どんだけ儀式を勉強しても、どんだけウタキの学びをしても、どんだけ力を磨いても、『相手を思いやる心』がなければ全然ダメ!・・・ですって。
これはなにもユタだけに限らず、どんな業種や職種にも当てはまりますよね。
そして・・・、
「なんらんくとーならん ならんでぃ うむれーから ならん ないんでぃ うむれーから ないん」
出来ないことは出来ない 出来ないと思ったら出来ない 出来ると思ったら出来る。
もうね、あまりにも当たり前な言葉なんですけど、出来ないって初めから諦めれば確かにできないし、やる努力や意欲もほとんど出てこないもんです。
出来る!・・・というか「やる」って決めたらば、それをどうやってやるか「しか」考えなくなるもんです。
はなっから「出来ない」って決め付けたとき、そこから始まるご縁は薄いです。
ですが、「やれるかも!」っていう希望が少しでもあれば、そこから「ご縁」は広がります。
そして、皆が「できないよ」って言われたことに、「いや、出来る方法はどっかにあるはずだ。」となったらば、その気持ちから湧き出るエネルギーは、モノを呼び寄せ、思考を呼び寄せ、人までも呼び寄せます。
どんなに「出来る方法」を知っていても、「やろう」という気持ちがなければ何もならない。
さて、どうやれば「やる」んでしょうかねぇ・・・。
私はですね、今までやった修行をですね、神仏御先祖様との交流パーティーのような「感覚」を持って楽しんでやってみました。
体調が苦しくなることもありました。「このまま死ぬんじゃないか」って思ったことも多々あります。
鑑定するようになって、「ホントにこれでいいのか」と自問自答するのはしょっちゅうあります。
なぜなら、依頼者さんが明るい未来の道を歩いていけるのに、この方法だけで大丈夫かと思うからです。
なぜ「そこが」不安になるかというと、「幸せになりたい」と思っていらっしゃるにもかかわらず、どこか「心」のなかに・・・
「このままでもいいや・・・」
・・・っていう想いを見るときがあるからなんです。
「このままもいい」・・・・そういう心が見え隠れした時、あぁ、このままじゃ・・・と思うのです。
神仏御先祖様は間違いなく子孫の幸せを望んでます。
このままでもいいというのなら、そのままのバックアップを御先祖様はします。
本当は、もっともっとバックアップしたいってウズウズしているのに・・・。
「私・・・このままでもいいや・・・」
心がついていかない状態での「幸せさがし」は、常に不安と不快がつきまといます。
あなたは本当に、幸せの道を歩きたいのでしょうか?
どんなに幸せになりたいと思っていても、心の力が伴っていないと、どうにもなりませんよ~。