県内には、まだまだ「埋もれた」・・・イヤイヤ・・・
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昔はですね、人々が住む集落には必ず「井戸」(生活用水)が在って、森(杜)があって、ヒヌカンを祀って・・・。
川や泉があるところは農業が栄え、海の側で暮らす人は海の幸に感謝し、集落の健康や火事が起こらないように注意して、お墓も集落の近くにあって、作物を作る畑があり、家畜を育てる場所、牧草地も備え、人々が集まる憩いの場所もあり・・・。
集落のまつりごとをつかさどる「場所」「人」も居てね・・・。
そうやって秩序と健康を守るべく、先人たちは保全、協力しあいながら頑張って生きて、守ってきたのですよ。
今のように蛇口をひねれば水が出てくる世の中で、井戸の水汲みの大事さが理解できるハズもなし。
スーパーに並ぶ食物に、「生産者の顔」や、「生き物たちの顔」を見ることもなく。
価格と便利さにのみ意識が集中し、背景や経緯を学ばせる機会もなく・・・。
そして、「そろそろヤバイんじゃない」ってことで、「生きている」ってことから、「生かされている」ってことに回帰せんとイカンぞ・・・と。
「井戸ってなんでたいせつなのか」
「ヒヌカンってなんなの?」
「若水ってなに?」
「ウマチーって?」
「清明祭って何?」
「お盆との違いは?」
「エイサー、三線、おもろそうし」
「ウタキ、ドゥンチ、ニーヤ・・・」
かつて「そこにあった」ハズのそれらは今・・・
建物や道路の下になっていたり、公園の片隅にしずかに「碑」が置かれていたり、荒れて整備されてない草むらにひっそりと隠れていたり・・・
街の真ん中に突然現れる「森」。 頂やふもとに・・・静かに祀られてる。
これらをまた昔みたいに復古させるのは至難の技。
ヘタにやろうものなら、「〇〇さんトコの娘さん・・・なんかおかしくなってるみたいよ」とか。
「お願いだからそういうことしないでお母さん。恥ずかしいよ」とか・・・。
神の道を歩く人には、そういった「隠れてしまった」「埋もれてしまった」ウタキを正したりしなければならない。
現代は、開発 開発で、本当に多くのウタキが消え去ってしまってます。
それを復古させる近道を指導してますがね・・・。
まぁ、これは20年~30年近くかかるロングラン計画。
「すぐに」それをしなければならない人にとって、場所特定が大変。
知っている人がドンドン減っていってます。
また、軍用地内にもたーくさんあります。
どうやって復古するか・
もうやっているところが県内あちこちに・・・。
その輪が広がれば、「カミダーリ」する人も減るだろうに・・・。
つくづく思います。
昔みたいにやりたいけれど・・・
さて、それが厳しい現代で、どうやって・・・・。
これから数日間は、そういった方々との面談が集中します。
気合入れて頑張ります。