「生」の力は、何者をも退ける

パパヒガ

2014年07月08日 03:25

「生身」ってのは最幸っす。

良いことも悪いことも経験できますもん。

それって、人生のスパイスですもん・・・。


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私を指導、守護する百太郎先生は、「清濁あわせ持つ」方であります。

清らかな面もあるが、毒を持つ怖い面もある・・・ということ。


結構ギリギリのネタを書いているので、微妙に脈が飛んでます(苦笑)。

ですが、ここはいっちょ書いておかなけりゃならないと思ったので・・・。


私が高校生のころの話し。

その日は友人の家に泊り、いつもと違うバス停にてバスを待っているときでした。

バス停には、私と友人、そして年配の女性がバス待ちをしてたんですね。

そして、バスが来て、いざ乗ろうとした時、その年配の女性と目が合いました。

するとその女性はイキナリ私に向かって・・・


「魔性者! 魔性者~」と言って、バスには乗らず、そのまま停留所に留まりました。


一緒にバスに乗った友人が、「おい、お前・・・大丈夫か? あのおばさんココらで有名なユタだぞ。お前何か憑いてんじゃないのか?」


今思えば、あの頃すでに百太郎先生は側にいらしてたんだな・・・と思います。

ハッキリと現れ始めたのは7年前なんですけどね・・・。

お蔭様をもちまして、「清の心もち」と「濁の心もち」の両方を体感させてくださってます。

ありがたや ありがたや・・・。



私の母は、かなり霊感の強い人でした。

そして私にいつもこう言って諭しました。



「生きている人間は、死んだ人間より強いんだ!」

「善を知るには、悪を知るべし」




母が亡くなり、やがて発動した霊感。

全く突然やってきたこの現象で、私は思わず浮き足立ってしまいました。

神という存在に傾倒し、それはまるで「カルト宗教」に入信する勢い。

浮世離れ・・・・と言っても過言ではない。

この世のすべては神によって動かされている。

だから、神を信じることが一番大切なのだ。

神の思し召しならば、たとえ世捨て人になったっていい・・・と。


しかしそれは大間違いであることに気付くんです。


なぜならば、神仏御先祖様の「基本的な望み」を知ったときに気付いた訳です。


〇 生き続けなさい

〇 子孫繁栄させなさい

〇 進み続けなさい



生き続けなさいとは・・・文字通りです。

「サバイバル」して生き残れという意味です。

一見すると弱肉強食と見えますが、これはですね・・・

自らを救うと共に、回りをも巻き込んで生き続けるようにしなさいということ。

つまり、あなたの回りの人間を、あなたが引っ張って「生かし、輝かせなさい」と述べているんですね。

ただ面白いことに、行き続けることを非難したり、やる気を消滅させてしまう「濁った人」も居ます。

そういう濁りもあってそれでイイんです。なぜなら、それがあるからこそ「清らかさ」を知るから。



子孫繁栄させなさいとは・・・

次世代の繁殖、教育を施しなさいということ。

「産めよ増やせよ」ですね。

次世代を生み増やし、それらを学ばせて養育しなさい。そのまんまです。

他にも話しはありますが、それはまたちょっと刺激的なので(濁り)またの機会(直接面談の時)に・・・。


進み続けなさい・・・進化しなさいという意味。

これは文字通りです。歩みを止めてはいけないということ。

人は、拝みや信仰、愛だけでは食っていけない。それだけで生きていけるかもしれませんが、それの実現はまだまだ先の話し。

人は生まれたときにだいたいの「宿命」が決定してます。
人を指導する。縁の下の力持ち。目標となる人。学びで進む人。変える人。変えさせる人。基礎を作る人。他を利する人。流される人。決を取る人。初め(始め)を司る人・・・。

しかしそれは、「運気」の力によってこそ成就します。

運気は「寝て待って」いてはやってきません、絶対に。

必ず、「前へ進む」・・・ゆっくりでもいいからひと足ずつ、確実に。

失敗は失敗ではなく、成功へのステップでしかありえない。

成功を望むなら、その過程での失敗は多いに礼賛されるありがたいもの。

「将来の道がすでに決まってるなら、寝て待っていてもやってくるんだろ!」・・・ではないのです。


人は、神様から「約100年」の旅行チケットを頂いてこの世に生まれてきました。

このチケットは、世界中のどこに行っても良しであります。

どこに行っても良いのですから、行き当たりバッタリのすっちゃかめっちゃか旅でも良いし、きっちりと計画を立てて旅に出ても良しです。

ですが、あれこれと計画を立てて、「あぁ、なるほど・・・こうやってこう行けば、そこにたどり着くんだな。そこには〇〇があって、□□があって、△△という経験が出来て、☆☆ということになるんだな・・・なるほど、そういう風になるわけだ。分かった分かった。・・・・さて、結果をある程度知ることができたわけだ。ならば別に行かなくてもいいや。どうせ家に帰ってくるんだし・・・。」

・・・これは「進んで」はいませんよね。

ただ単に「立ち止まって」考えているだけです。

これは「停滞」と言います。停滞は(濁り)

停滞は何も生み出しませんし、何も経験できません。そして、チケットを使ってもいないのです。

停滞は、生きるパワーを消費するだけになります。ですので、やがて必ず沈んでいきます。

私はめったに落ち込むようなことを書きませんが、ここでは強く言います。

「停滞」は、必ず生きる力を沈めてしまいます。





どろくさく生きてもいい、清廉潔白でなくてもいい。

正論ばかりで生きていては、「濁った」世界の面白さや怠惰さが味わえない。行き当たりバッタリの無計画は、「生きる」力なくしてはありえない。

悪を見るには善の立ち位置にいなければ見えない。

善を知るには悪の立ち居地を知らなければ見えない。

人は成功という果実のみでは生きていけない。失敗というスパイスなくしては、食材を楽しめない。



「生」の力を得るには、停滞はありえないのです。


大きな一歩を踏み出さなくてもいい。

遅れを取ったからといって、無理して大またで走らなくてもいい。


少しずつでいい・・・


ひとあし ひとあし・・・


一歩踏み出す「勇気」があるだけでいいんです!



その勇気は、何者をも退けます。








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