「生身」ってのは最幸っす。
良いことも悪いことも経験できますもん。
それって、人生のスパイスですもん・・・。
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私を指導、守護する百太郎先生は、「清濁あわせ持つ」方であります。
清らかな面もあるが、毒を持つ怖い面もある・・・ということ。
結構ギリギリのネタを書いているので、微妙に脈が飛んでます(苦笑)。
ですが、ここはいっちょ書いておかなけりゃならないと思ったので・・・。
私が高校生のころの話し。
その日は友人の家に泊り、いつもと違うバス停にてバスを待っているときでした。
バス停には、私と友人、そして年配の女性がバス待ちをしてたんですね。
そして、バスが来て、いざ乗ろうとした時、その年配の女性と目が合いました。
するとその女性はイキナリ私に向かって・・・
「魔性者! 魔性者~」と言って、バスには乗らず、そのまま停留所に留まりました。
一緒にバスに乗った友人が、「おい、お前・・・大丈夫か? あのおばさんココらで有名なユタだぞ。お前何か憑いてんじゃないのか?」
今思えば、あの頃すでに百太郎先生は側にいらしてたんだな・・・と思います。
ハッキリと現れ始めたのは7年前なんですけどね・・・。
お蔭様をもちまして、「清の心もち」と「濁の心もち」の両方を体感させてくださってます。
ありがたや ありがたや・・・。
私の母は、かなり霊感の強い人でした。
そして私にいつもこう言って諭しました。
「生きている人間は、死んだ人間より強いんだ!」
「善を知るには、悪を知るべし」
母が亡くなり、やがて発動した霊感。
全く突然やってきたこの現象で、私は思わず浮き足立ってしまいました。
神という存在に傾倒し、それはまるで「カルト宗教」に入信する勢い。
浮世離れ・・・・と言っても過言ではない。
この世のすべては神によって動かされている。
だから、神を信じることが一番大切なのだ。
神の思し召しならば、たとえ世捨て人になったっていい・・・と。
しかしそれは大間違いであることに気付くんです。
なぜならば、神仏御先祖様の「基本的な望み」を知ったときに気付いた訳です。
〇 生き続けなさい
〇 子孫繁栄させなさい
〇 進み続けなさい
生き続けなさいとは・・・文字通りです。
「サバイバル」して生き残れという意味です。
一見すると弱肉強食と見えますが、これはですね・・・
自らを救うと共に、回りをも巻き込んで生き続けるようにしなさいということ。
つまり、あなたの回りの人間を、あなたが引っ張って「生かし、輝かせなさい」と述べているんですね。
ただ面白いことに、行き続けることを非難したり、やる気を消滅させてしまう「濁った人」も居ます。
そういう濁りもあってそれでイイんです。なぜなら、それがあるからこそ「清らかさ」を知るから。
子孫繁栄させなさいとは・・・
次世代の繁殖、教育を施しなさいということ。
「産めよ増やせよ」ですね。
次世代を生み増やし、それらを学ばせて養育しなさい。そのまんまです。
他にも話しはありますが、それはまたちょっと刺激的なので(濁り)またの機会(直接面談の時)に・・・。
進み続けなさい・・・進化しなさいという意味。
これは文字通りです。歩みを止めてはいけないということ。
人は、拝みや信仰、愛だけでは食っていけない。それだけで生きていけるかもしれませんが、それの実現はまだまだ先の話し。
人は生まれたときにだいたいの「宿命」が決定してます。
人を指導する。縁の下の力持ち。目標となる人。学びで進む人。変える人。変えさせる人。基礎を作る人。他を利する人。流される人。決を取る人。初め(始め)を司る人・・・。
しかしそれは、「運気」の力によってこそ成就します。
運気は「寝て待って」いてはやってきません、絶対に。
必ず、「前へ進む」・・・ゆっくりでもいいからひと足ずつ、確実に。
失敗は失敗ではなく、成功へのステップでしかありえない。
成功を望むなら、その過程での失敗は多いに礼賛されるありがたいもの。
「将来の道がすでに決まってるなら、寝て待っていてもやってくるんだろ!」・・・ではないのです。
人は、神様から「約100年」の旅行チケットを頂いてこの世に生まれてきました。
このチケットは、世界中のどこに行っても良しであります。
どこに行っても良いのですから、行き当たりバッタリのすっちゃかめっちゃか旅でも良いし、きっちりと計画を立てて旅に出ても良しです。
ですが、あれこれと計画を立てて、「あぁ、なるほど・・・こうやってこう行けば、そこにたどり着くんだな。そこには〇〇があって、□□があって、△△という経験が出来て、☆☆ということになるんだな・・・なるほど、そういう風になるわけだ。分かった分かった。・・・・さて、結果をある程度知ることができたわけだ。ならば別に行かなくてもいいや。どうせ家に帰ってくるんだし・・・。」
・・・これは「進んで」はいませんよね。
ただ単に「立ち止まって」考えているだけです。
これは「停滞」と言います。停滞は(濁り)
停滞は何も生み出しませんし、何も経験できません。そして、チケットを使ってもいないのです。
停滞は、生きるパワーを消費するだけになります。ですので、やがて必ず沈んでいきます。
私はめったに落ち込むようなことを書きませんが、ここでは強く言います。
「停滞」は、必ず生きる力を沈めてしまいます。
どろくさく生きてもいい、清廉潔白でなくてもいい。
正論ばかりで生きていては、「濁った」世界の面白さや怠惰さが味わえない。行き当たりバッタリの無計画は、「生きる」力なくしてはありえない。
悪を見るには善の立ち位置にいなければ見えない。
善を知るには悪の立ち居地を知らなければ見えない。
人は成功という果実のみでは生きていけない。失敗というスパイスなくしては、食材を楽しめない。
「生」の力を得るには、停滞はありえないのです。
大きな一歩を踏み出さなくてもいい。
遅れを取ったからといって、無理して大またで走らなくてもいい。
少しずつでいい・・・
ひとあし ひとあし・・・
一歩踏み出す「勇気」があるだけでいいんです!
その勇気は、何者をも退けます。