2017年11月11日
開運

「比嘉さん、念願叶いました!」
皆さまおはようございます。パパ比嘉です。
今年も残すところあとひと月半となってまいりました。。
今年はあなたにとって「良き一年」でございましたでしょうか。
私にとって、「比嘉さん、念願叶いました!」というご報告は、とても嬉しいものでございます。
その報告の文字にはとても温かい力が込められていて、読ませていただく私にも大きな温かいお力を頂きます。
しかしながら、鑑定面談終了後において、未だ念願叶わずに苦悶されてらっしゃるかたもいらっしゃるわけです。
これは私の力不足も多分にあり、心苦しく思うことも少なくありません。
ただ、私の力は微々たるものであります。
鑑定面談にいらした方々に、ほんのちょっとの「開運」のヒントをお伝えします。
そのヒントも、その方にとって実行しやすいであろうという形でお伝えし、「開運へのご縁の道筋」を歩んでいただこうと考えております。
この道に入って十数年・・・。
皆様のお力になれればと日々精進を繰り返しております。
良き学びを得たという日もあれば、停滞という時期を悶々と過ごすことも少なくありませんでした。
なぜこの世でこうやって生きているのか。
なぜ人はすべてが平等であるハズなのに、こうも差が出てくるのか。
どうして人は幸の道を歩める力を持っているのに、「不幸」の道を選択しやすいのか。
大きな漠然とした疑問を解決したいと思いつつ、まずは幸せへの第一歩となる教えや学びを探し続けております。
この十数年、当初から変わらない開運の方法がございます。
百太郎師匠(まぁ、私の守護神仏みたいなモノです)が最初に伝えてくれた言葉です。
「まずは、おまえ自身を大事に」
これもまた非常に抽象的というか、大きな漠然とした教えというか・・・
「だから、何をせーっちゅんじゃい!」 「それはわかっとる。具体的に教えてくれ、どうやったら大事にできるのじゃー」
そういった具体的な方法に至るための手段・方法について問うと、ただ「笑顔でニヤニヤ」しているだけです・・・百は。
「自ら・・・考えよ!」
・・・これですもの。
でも、「まずは、おまえ自身を大事に」・・・・の言葉をもらったその後には様々な導きがありました。
その導きから得たことが、今も変わらない「開運のヒント」になっています。
その言葉を頂いたとき、私は苦悩のどん底に(自分自身ではそう思っていました)おりました。

貧困、病気、孤独・・・。誰も助けてくれない。誰にも弱音を吐けない。自分ひとり・・・ひとり・・・ひとり・・・。
将来の不安・・・食費、住宅費などの生活費・・・。ローン返済、税金、健康保険の支払い・・・。育児、介護費用・・・その他諸々。
現状の辛さ・・・身体も心も思うように動かない。誰も助けてくれない。一人でなんとかしないといけないのに出来そうもない。
過去への後悔・・・「あの時、あれをやっておけば」 「学歴を高めておけば」 「この選択をしなければ」
そんな中で「開運」なんて・・・。開運どころか幸運やってくるはずないじゃないか・・・って思ってました。
どん底のどん底でせっぱ詰まり、気が付けば・・・・

深夜の崖の上。
下は真っ暗闇の海。
色々なことが頭に浮かびました。
そんな時・・・

ふと、あることが思い出されました。
それは、東京へ仕事に行ったときのこと。
当時の私はスーツに身を固めた企業戦士でした。
仕事で池袋から浅草に向かい、仕事を終えて浅草からまた池袋へ戻るときのことです。
時刻は夜の八時くらいだったと思います。
池袋から山手線で上野まで。そこから歩いて地下鉄浅草線の駅まで。
駅のホームまで下りていくと、そこには地下街があって、飲食店が軒を連ねていました。
そのホームまでの階段を下りていくと、踊り場に三人のホームレスさんが座っていました。
新聞紙?ダンボールを広げ、そこに居住しているような感じ。(現在はダメですが、当時は駅構内で居住する方もチラホラいたような)
仕事に向かう時に彼らを見た私の心には、「負け組だな」と軽蔑していました。傲慢でイヤなヤツですよね、まったく。
浅草で仕事を終え、地下鉄銀座線に向かいながら仕事のことだけを考え、ホームの階段に差し掛かるとき、ふと彼らのことを思いだしました。
彼らの座っていた踊り場には、そのとなりに定食屋さんがあって・・・。
ふと私はその定食屋さんで何かをテイクアウト(持ち帰り)にして、彼らにふるまってやろうと思いました。
慈悲心からそういう気持ちになったのではなく、自分の自己満足。自尊心のアップのためですね。(俺って勝ち組だわ~)
階段を下りていくと、彼らはまだそこにいて、「ヨッシャ」って感じで定食屋に入ってカツ丼を三人前注文。
レジでお金を払って店を出て、数歩歩いて腰をかがめ、彼らにあいさつ。
「どうもこんばんは。よろしかったらこれどうぞ!」
彼らは最初、とてもとてもいぶかしげな顔で私を見ていました。

(なんだコイツは・・・)
でも、そのうちの一人が・・・
「助かったわ兄ちゃん。ありがとう!」
そう言ってカツ丼を受け取り、すぐに食べ始めました。
そして・・・
「兄ちゃん、おまえの分がないぞ、分けてやるからそこに座れ」
彼らは三人。私はひとり。カツ丼は三人前。
私は遠慮してそこから立ち去ろうとしました。
帰ろうとする私にその人は、
「温かいなこのカツ丼」
そう言って、深くかぶっていた帽子を取って頭を下げていました。
あったかい笑顔でした。
私は自分がとてもとても恥ずかしくなり、その場から逃げるように立ち去りました。
自分はなんてことをしたんんだろうか。これはもはやイジメじゃないか。
俺はなんてサイテー野郎なんだ・・・自己満足のハズが、自己嫌悪に変わり・・・。
この記憶を消し去りたくなっていました。
それから数日後、仕事でまたあの場所へ行かねばならなくなり・・・。
でも、ホームに至る階段はあの場所以外にもあるわけで。
彼等の居た階段を避けてホームに降りようとしたら。
「おい、兄ちゃん」
後ろからあのホームレスに超えおをかけられるわけです。
そして、
「ありがとうなあの時は。あんたも無理しないで頑張りなよ」
私はとても恥ずかしくなって、ロクな挨拶もせずその場から立ち去りました。
その後も仕事でそこの駅に行くたびに彼らに声をかけられました。
いつも「頑張れ」とか、「気を付けて」とか、「風邪ひくな」とか、私を気遣う言葉だけをかけてくれました。
そしてある日、思い切って彼らに告白するわけです。
あれは自分の自尊心を満たすためにやってしまったこと。申し訳なかった。自分が恥ずかしくなったこと。
そうしたら・・・
「そんなのわかっていたよ」
「あんたはそう気持ちだったとしても、俺らににとってはありがたかった。ただそれだけのこと」
・・・あぁ、そうか・・
私は崖っぷちでそのことをなぜか思い出し、
今の現状の自分の置かれた立場・」状況について考え方を変えてみました。
「受け取り方」を変えてみました。
自分ひとりで威張って何かをやろうとしてもたかが知れている。
誰かの助けを借りようなんて「負け組」のすることではなく、だれの力も借りないと意固地になるのが負け組なのかもしれない。
まずは身近な人を信頼して「助け」を求めていこう。
当時の私はおそらく・・・・何事にも、何物にも
「信頼」をなくしていたんだと思います。
一番は、自分に対する信頼。
「俺はもう何をやってもダメなヤツなんだ」・・・って。
身近な人・・・・とてもとても近いのに、気づかない相手・・・・それは自分自身。
「よし、俺は出来る。大丈夫」
これって、時間にしてほんの数秒だったと思います。
そして、自分のところに来た妻はなんて不憫なんだろうとか、子供にとって俺はダメな親だなという想いが、
妻に子どもに、出来る自分を見せてやろう。
俺はあれほどステキな子供に恵まれて良かった。
この崖まで来ることが出来たのも、帰ることが出来るのも、車があったからだ。自動車を持っていられたからだ。
寒い中、この崖で長く居られたのも、温かいジャンパーがあったからだ。
すぐに飛び込まず、じっくりと考えられたのも温かいジャンパーがあったからだ。
落ち着くための、気持ちを固めて飛び込むために吸った一本のタバコがあったからだ。
「気が付けば、私の周りには、私を助けてくれるものばかりだわ!」
それ以来、崖っぷちに立つことはありませんでした。
今、私は、その崖っぷちの近くにある、「希望ヶ丘」というところで事務所を構えさせていただいてます。
いつもあの時のことを肝に銘じ、自分を信じて・・・そして、面談させて頂いたご依頼人様。面談できなくもメールでの相談でご縁のあった方々の開運を信じております。
どれだけステキな言葉を差し上げても、受け取り方次第でそれは毒になることも少なくありません。
ただただ私は、御縁のあった方、そしてこれからご縁がつながるであろう皆様の「開運」を信じ、祈るばかりです。
開運のヒント・・・・
「今の状況について受け取り方を変える」
今日も皆様にとってよい一日でありますように。
追記
そのホームレスさんたちとの交流はしばらく続くわけです。
色々な事教えてもらいました。
あの時、「自尊心満足」という卑しい想いが出てきてくれて、とても幸運だったと思っています。
交流で学ばせていただいたことはまた次の機会に・・・