2018年07月11日
自殺したい彼女から教えられたこと
みなさまこんにちは。パパ比嘉です。
今日のタイトルはかなり重く、衝撃的だったでしょう。
もし、このテーマについて読みたくない方がいらっしゃいましたら、
すぐにこの記事を読むのをやめてください。

今から4年前の事です。
40代の女性がわたしに連絡をしてくださいました。
「自殺したら私は地獄の落ちますか?」
私は即決でこう答えました。
「自殺して地獄に行くのかどうか、私には分かりません」
一般的な宗教観において、自殺した魂は地獄へ行くということを説いていることが多いです。
それがあればこそ、自殺を防止することも多いです。
私は彼女と5時間近く、自殺についての話をしました。
・なぜ自殺をしたいのか?
明るい将来が想像できないということ。
持病を持っていていつも身体の不調があり、仕事も生活もままならず、
生きていくためのお金が不足していて苦しいということでした。
・どの方法で自殺をしようとしているのか?
それについては、薬局で買った薬を大量に飲むということを考えていました。
・自殺したら悲しむ人がいるのではないか?
家族はすでに離散していて連絡先もわからない。
親族とはもう十年も会っていない。
持病のせいで恋愛・結婚は出来なかったから、悲しむパートナーはいない。
知人友人もいない
・自殺したら地獄へいくとして、地獄の苦しみが永遠に続くとしたら自殺はやめるのか?
地獄の苦しみがどんなものなのか知りたい。
また、自分の自殺の理由が正しいとして、それでもやはり地獄に行くのか。
結果として今の彼女はどうなっているか?
先日、メールがありました。
「今日でまた一年、生き延びてます。」
そうやって、相談のあった日から毎年、「生きている」というメールだけが届きます。
どんな生活をしているのだろうか?
ちゃんとご飯は食べているのだろうか?
寝るところはあるのか?
支えてくれる人はあるのだろうか?
心配はします。
だけれど、彼女への返信にそういったことは書きません。
私もただひとこと返信しています。
「連絡してくれてありがとう。僕も生きてます。来年も僕は待ってます。」
相談時、私は自殺を否定することも肯定することもしませんでした。出来ませんでした。
人はよく、命は何よりも重いものであり、貴重なものであると説きます。
これはとても良い言葉だと思っています。
ただ惜しいことに、命よりも大事なモノも確実に存在することを、私たちは経験で知っているハズです。
彼女は、病気で学校にロクに行けなかったこと。
勉強が遅れて悔しかったこと。
親御さんから見捨てられたと感じていたこと。
楽しいことなんてなかったということ。
成人してからはいつも生活に追われ、自分を「可哀そうな人」と見られるのがイヤだったこと。
いつもひとりぼっちだったこと。
そんな過去を静かに話してくれました。
あまりにも落ち着いていて、相当な覚悟があると感じました。
それでもなお、私は命を継続してほしいと思いました。
しかし、命の継続が彼女にとって、果たしてそれが正解なのかは分かりませんでした。
今ここで、そういった命についての話を深めようとは思っていません。
難しくなっちゃいますし、私自身それを正確に伝えられません。知らないことも星の数ほどあります。
何が正解で、何が間違っているかをしっかりと定義するのも出来ないです。
ただひとつだけ、
彼女と一所懸命目を見て話し、一所懸命心で聴くようにしました。
その時の私は、
今の自分に、彼女の自殺を食い止めるための間違いない方策は話せない、知らない。
ただただ、その場に一緒に考えよう、居よう、話を聞こうということだけ。
彼女は私に「聞く」ではなく、「聴く」(心でしっかりと受け止めて感じるということだと思ってます)ことを教えてくれました。
私もかつて、絶望をしたことがありました。
明るい未来なんて想像できず、社会から見放されたような想いが頭と心を支配し、
深夜、真っ暗な海を崖から見下ろしたことがあります。
冷たい風の吹き始めた秋。
誰もそこにはおらず、私一人だけ。
死のうという気持ちと、誰か私を見つけてくれ、止めてくれと願う気持ち。
何時間もそこに立ち尽くし、そこから飛ぶ勇気と、誰かに止めて欲しいという期待感が天秤にかけられました。
やっぱちやめようと崖から離れて振り返れば、その先に苦しい現実が浮かび始めます。
そしてその現実から顔を伏せてうつむき、また崖っぷちに振り向いて先まで行きます。
結局、飛ばずに今ここにいるわけですが、
あの時、私が崖から離れたのは、ある人から電話があったから。
「大丈夫だ、あなたは一人じゃない」
まだまだ修業不足である私です。
毎年、「聴く」ことの大事さを、彼女から教えてもらってます。
ひとりぼっちと感じることがどれだけ恐ろしいかを教えてもらってます。
もし、自殺すると地獄へ行くならば、
そこにあるのはおそらく、誰もいないひとりぼっちの空間なのでしょう。
きっと寂しく、何も見えず、何も聞こえず、
時間もなく、それは永遠に続くのかもしれません。
ただわたしが信じるのは、たとえそういう地獄に行ったとしても、
そこから救われることはあるということ。
もっともっと学び、そういう想いで苦しむ人たちを少なくしていきたい。
そう改めて教えてくれる、
「今日でまた一年、生き延びてます。」のメールでした。
Posted by パパヒガ at 12:26│Comments(0)
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