2014年02月03日
「開運」というものは
「開運」というものは・・・
運を開くにはどうすればいいのでしょうか。
人は必ず人と繋がり、お互いに刺激しあいながら生きてます。
開運のキッカケは、必ず「何かしらの巡り会わせ」を伴ってやってきます。
そのキッカケをもたらすのは人なんです。生きている人なんです。
神や仏は、我々の目の前にたくさんの選択肢をバラまきます。
運が開ける人は、その選択肢の中からいくつかを選び出し、実際に行動に移します。
スムーズに行く場合もあれば、難航することもあるでしょう。
しかし、一見難航と見えた選択肢でも、たとえそれが失敗に終わったとしても、それは開運へのプロセスの一つであり、そこから学び取った知識や経験は、いつか必ず役に立ちます。
問題は、そこで「諦めてしまう」こと。
さて、ここでひとつの疑問が浮かびます。
もし、その「選択肢」が間違っていたら・・・。
そうなんです。
自分で選んだ選択肢が必ずしも正しいとは限らないことがあるんです。
「遠回り」と言い換えてもいいでしょう。
遠回りをして失うものは、時間です。
副産物として「お金」や「人間関係」も失うことが多々あります。
それを回避するにはどうすればいいか!
「選択肢」を蒔くのは神や仏。そして、「選択肢」を選ぶのは人の「心のあり方」
私は以前、神や仏なんて存在しないと考えていました。
人の運命はそんなあいまいな存在に左右されてはいけない。
自分自身の努力で切り開くものであると思っていました。
事実、世界で大成功している富豪の方々は、そんなことを一言も自伝に書いてない。
まして、世界各地にはそれぞれ違った文化と宗教があり、共通する神様、仏様がいれば信じたかもしれませんが、それもない。
バラバラで混沌としていて、「神」を前面に出した戦争まで起こる始末。
本当に神が存在するならば、こんな醜い争いや事件が発生するハズもなく。世界はのんびりと流れていくハズだ・・・と。
しかし実際には、今この瞬間も世界のあちこちで銃弾が飛び交い、飢えに苦しむ幼子達がいて、毎日苦しむ人たちが蔓延しています。
日本中で、世界中で廃棄される食料の総量を、イヤ、廃棄されると見通しのつく新鮮な食料を、飢えに苦しむ国に配ったとしたら、飢餓はなくなるでしょう。
食をより豊かに楽しむために生産される食材が、多大なる犠牲によって作られているとしたら、その食材を食べることを控える人も出てくるでしょうし、犠牲を生まないような生産方法を考える人々も出てくるでしょう。
私たちが何故、なかなか「開運」の道が探せないのか?
それは、日々の暮らしの中にある単純なことを、今一度調べ直し、「心の目」で見て学ぶことをしなくなってきているからだと思います。
私たちは「与えられすぎて」いるがゆえに、本質が見えなくなってきてしまってます。
「洗脳」といえるかもしれません。
開運、運を開く道、目の前の転がっている沢山の選択肢から何を選ぶのか?
その真偽を判定する力の源は「心」です。
「それはいったい誰のためになるのか?」
「誰を幸せにしたいのか?」
そして、「その方法は、悪ではないか、否か」
私たちは今一度、自分の心のあり方を学びなおしていかなければならないと思っています。
それを共にやっていきたい。
私が鑑定を始めた理由の一つであり、大きなテーマでもあります。
運を開くにはどうすればいいのでしょうか。
人は必ず人と繋がり、お互いに刺激しあいながら生きてます。
開運のキッカケは、必ず「何かしらの巡り会わせ」を伴ってやってきます。
そのキッカケをもたらすのは人なんです。生きている人なんです。
神や仏は、我々の目の前にたくさんの選択肢をバラまきます。
運が開ける人は、その選択肢の中からいくつかを選び出し、実際に行動に移します。
スムーズに行く場合もあれば、難航することもあるでしょう。
しかし、一見難航と見えた選択肢でも、たとえそれが失敗に終わったとしても、それは開運へのプロセスの一つであり、そこから学び取った知識や経験は、いつか必ず役に立ちます。
問題は、そこで「諦めてしまう」こと。
さて、ここでひとつの疑問が浮かびます。
もし、その「選択肢」が間違っていたら・・・。
そうなんです。
自分で選んだ選択肢が必ずしも正しいとは限らないことがあるんです。
「遠回り」と言い換えてもいいでしょう。
遠回りをして失うものは、時間です。
副産物として「お金」や「人間関係」も失うことが多々あります。
それを回避するにはどうすればいいか!
「選択肢」を蒔くのは神や仏。そして、「選択肢」を選ぶのは人の「心のあり方」
私は以前、神や仏なんて存在しないと考えていました。
人の運命はそんなあいまいな存在に左右されてはいけない。
自分自身の努力で切り開くものであると思っていました。
事実、世界で大成功している富豪の方々は、そんなことを一言も自伝に書いてない。
まして、世界各地にはそれぞれ違った文化と宗教があり、共通する神様、仏様がいれば信じたかもしれませんが、それもない。
バラバラで混沌としていて、「神」を前面に出した戦争まで起こる始末。
本当に神が存在するならば、こんな醜い争いや事件が発生するハズもなく。世界はのんびりと流れていくハズだ・・・と。
しかし実際には、今この瞬間も世界のあちこちで銃弾が飛び交い、飢えに苦しむ幼子達がいて、毎日苦しむ人たちが蔓延しています。
日本中で、世界中で廃棄される食料の総量を、イヤ、廃棄されると見通しのつく新鮮な食料を、飢えに苦しむ国に配ったとしたら、飢餓はなくなるでしょう。
食をより豊かに楽しむために生産される食材が、多大なる犠牲によって作られているとしたら、その食材を食べることを控える人も出てくるでしょうし、犠牲を生まないような生産方法を考える人々も出てくるでしょう。
私たちが何故、なかなか「開運」の道が探せないのか?
それは、日々の暮らしの中にある単純なことを、今一度調べ直し、「心の目」で見て学ぶことをしなくなってきているからだと思います。
私たちは「与えられすぎて」いるがゆえに、本質が見えなくなってきてしまってます。
「洗脳」といえるかもしれません。
開運、運を開く道、目の前の転がっている沢山の選択肢から何を選ぶのか?
その真偽を判定する力の源は「心」です。
「それはいったい誰のためになるのか?」
「誰を幸せにしたいのか?」
そして、「その方法は、悪ではないか、否か」
私たちは今一度、自分の心のあり方を学びなおしていかなければならないと思っています。
それを共にやっていきたい。
私が鑑定を始めた理由の一つであり、大きなテーマでもあります。
Posted by パパヒガ at 17:06│Comments(0)
│何故、鑑定を始めたのか?