凄いタイトル
「先祖が苦しんでいるよ。だからウガンしないと…。」
そんなセリフをあちこちで聞くのです。
「何に苦しんでいるのですか?」
そう問うと…、お決まりのセリフが出てくるのですね~。
「ぐゎんす」位牌
「じーち」土地
「ばーき」争い
「いちみ」生き霊
などなど…。
そして、たくさんの線香と供物を準備し、これまたあちこちでウガンするのです。
間違いではないですよ。
ですが、あまりにもウガンする場所が多すぎなんです。
本来、私たちは畳一畳くらいの広さで産まれ、雨風しのげる家で育ち、これまた一畳くらいの寝床で眠り・・・
歩いて数分~数十分の学校に通います。
大きく成長して仕事に就き、県内あちこちを回ったり、沖縄を飛び出して本土や世界に飛び立っていきますよね。
成長するにしたがって見聞きする世界はどんどん広がり、「生きていくためのスピード」はどんどん加速していく。
スピードに追いつけ追い越せで、気がつけば・・・「足元」を見ず、常に先ばかりを見ていくわけです。
そりゃぁ、疲れます。
だってもう・・・やみくもに走っているようなものですもの。
だからと言って立ち止まると追い越され、置いてけぼりに遭い、「しまった」と思って走って追いつこうとするとムリをする。
「なんとか早く追いつく方法はないか?」・・・そう考えながらジタバタします。
私たちは生まれてからずーーーっと「評価」されて生きてますよね。
学校でもそう、社会でもそう、ヘタすると家庭でも「評価」を気にしているのよね~。
これって・・・もうね・・・「洗脳」ですよ。
人とは違う行動や言動を「評価」され、いつもビクビクですもの。
いったい「誰が」、その評価基準を作ってしまったんでしょうね・・・
実は、「開運」についても「評価」が付きまといます。
〇〇のお守りを持ったから御利益があるハズだ!
〇〇供養をしたから家内安全、子孫繁栄だ!
家の四隅に〇〇を置いたから気運が高まるハズだ!
この開運方法の全てが間違いではありませんが、しかしそれは「開運」するための主たる要素では決してないということです。
世の中には、すたれ、誰も見向きもせず、山の中、林の奥、谷の底にある神の社がいっぱいあります。
ダムに沈んでしまった社もあれば、人がいなくなって寂れた村の中にある社もあります。
〇〇神社なら御利益がある!←実はこれも洗脳されたもの。
神社には全て御利益がありますよ。
わざわざ遠いところへ、霊験あらたかと呼ばれる神社へ行くよりも、自分の生まれ育った「足元」のちかくにある社こそ・・・
あなたにとっての、大事な守り神でっせ~