役割って、とーっても大事なんです

パパヒガ

2014年06月12日 00:27

チジガミとか、チジファとか・・・(先祖霊とか守護霊。先祖神、守護神の方がしっくりきますね9

それは誰かと問われれば、神仏ではない・・・ハズです。


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私がユタさんをドロップアウトしたのは、私と行動を共にする「百太郎先生」が、チジガミとかチジファとかの「くくり」では説明できない存在だからですのよ~。

しかも、「絶対に、我が身の詳細を明らかにしてはいけない」との仰せ付けがありまして、我が家には神殿も仏像もありましぇん。

ですので、たとえ依頼者さんが我が家にいらっしゃったとしても、な~んもありましぇ~ん。


県内のユタさん家には、間違いなく「神殿」か「仏像」が安置されていると思います。

大変ありがたいことですよね。

そして、ユタさん達の役割にも敬服します。

細かく役割があってですね・・・。

地域のウタキをつかさどる役目の人。ウタキの神様からのお知らせを受け取る人。ユタになる人を導き、教え諭す人。仏壇継承についての管理、儀礼をつかさどる人。土地の因縁や、浄化をつかさどる人。亡くなった方々の想いや憂いを伝える人。生きている人間同士のわだかまりを解消する道を示す人。人の生き方歩み方について説く人。・・・その他さまざまな役割があるんですね。

ですから、地域のウタキをつかさどる役目のある人に、生きている人間同士のわだかまりを解消することは出来ないです。

専門分野があるわけですね。

では、どうやってユタの専門分野を知るか。

これがまた難しい。

もう、「巡り合わせ」を信じるしかないんです。


ですが、ほとんどのユタさんが言う・・・「十二ヶ所巡りしようね」。

これについて今日はお話したいと思っています。

首里観音堂 安国寺 だるま寺 盛光寺。

この四箇所のお寺を巡ることを「十二ヶ所巡り」って言うんですね。

「なんだよ、十二ヶ所って言っといて、四ヶ所じゃね~かよ」

そんな疑問も出てくるでしょうね。

この「十二ヶ所」というのは、「十二支」と同義です。

分かりやすく言うと、「十二ヶ所巡り」とは、「十二支をつかさどる仏様」に手を合わせるということです。



首里観音堂・・・千手観音菩薩(子年の守り本尊) 虚空蔵菩薩(丑年・寅年の守り本尊) 普賢菩薩(辰年・巳年の守り本尊) 勢至菩薩(午年の守り本尊)

安国寺・・・不動明王(酉年生まれの守り本尊)

だるま寺・・・文殊菩薩(卯年生まれの守り本尊) 阿弥陀如来(戌年・亥年生まれの守り本尊)

盛光寺・・・大日如来(未年・申年生まれの守り本尊)



なぜ、この十二ヶ所巡りが最もポピュラーな「拝み」であるかというと、私たちには御先祖様がいーっぱいいらっしゃいます。どの先祖が何年うまれなのかまでは分かりません。もうね、10代までさかのぼったら、何年生まれなのかも知りませんし、どこに住んでいたかもほぼ分からないでしょうね。

そこで、十二ヶ所を巡っておけば、まちがいなく全ての御先祖様の守り本尊を拝むことができるからなんですね。

依頼者さん本人だけでなく、全ての御先祖様もカバーできるからなのです。


これは、「拝みスタイル」としてほぼ確立していると言っても過言ではないでしょう。

沖縄・・・イヤ、琉球の伝統文化としての立ち居地から理解できます。

沖縄は、「祖先崇拝」「自然神信仰」の色が強く残っています。

それが何故にお寺なのか?

その疑問は「先祖様がたの生まれ年全て」を拝むことが出来るからですね。

また、盛光寺・・・だったかな。

ここはまた特別で、先祖のことをよーく語ってくれる仏様なんです。


ただ残念なのが、この守り本尊のことを理解していないユタさんが増えてしまってまして。

いったい「何に」拝んでいるのかさえ分からずに手を合わせている場合も少なくありません。

「ここは何が御本尊で、何の霊験があるのですか?」とユタさんに聞いて、答えられるユタさんは信用度が高いと思いますよ。

また、仏を祀るお寺なのに、「二拝二拍手一拝」といった神社での作法をしてらっしゃる方もしばしば。

これもどうかと思います。

ユタさんの役割、立ち位置は、「仏教」ではありませんし、「神道」とも言えない部分があります。

しかし、そこはほれ、沖縄・琉球でございます。チャンプルーでございますよ。


さて、ここで大事なのが、ユタさんって何?ってこと。


人間の生きる知恵や力を教え諭し、足りない部分を「拝み」にてカバーするというのがユタさんお役目であったハズです。

村の物知りおばあちゃんとも言えますよね。


こういう姿を守っているユタさんが減ってきてしまいました。残念です。


ユタさんの役目は、琉球の伝統儀礼を守り、そして、人生の指南役としての役割もあると思うんです。


私は、「伝統儀礼」をユタさん達に任せ、「人生指南役」に徹しようと思ったんです。

・・・というか、「百太郎先生」がそうだった。



この世には様々な「性分」を持った人々がいらしゃいます。


自分に「適している」役割を捜し求め、より良い生活の基盤作りをしていって欲しいなと思います。


そのお手伝い・・・気合入れてさせていただきたく思っております。


最後まで読んでくださってありがとうございます!ハイ!


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