今日はけっこうメール相談が多かったのです。
そして、それに感する再面談予約も多かったのです。
その内容とは・・・
「妻が夫の実家のウークイに行かない!」
「夫が、妻側のウークイに関心がない!」
「夫婦どっちもそれぞれのウークイに行きたい!」
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さて、もしも沖縄に「ウンケー」とか、「ウークイ」とか、そういったお盆の伝統がなかったとしたらこういう問題は起きません。
そもそも、お盆って何?
先祖があの世から帰ってきて、この世の子孫の顔を見に来るんですよね。
つまり、ウンケーやウークイは、「お帰りなさい」と、「また来年ね」の「アイサツ儀礼」であるわけです。
そして、その儀礼のカギを握るのは、一家の長でありますの。
各家庭、みんあそれぞれ考え方が違います。
同様に、お盆の過ごし方も違います。
そこで生まれる「摩擦」がケンカの元。
さて、百太郎先生の答えは明快でした。そして意外にもストレートな答えでした。
「先祖は常に我々の側にいて、ウンケーだとか、ウークイだとか、そういったものはそれほど重要視していない」
「お盆の期間は、先祖のおもてなしのほか、子孫の和合を取る機会でもある」
「次世代に伝えるは、命の連鎖と『てぃーあんだ』である。」
そして・・・
「仏壇を持つという伝統を選んだとき、先祖が固定された。本来は自由に動き回るのに、固定された・・・と見なされた。そこからキョリが生まれた。キョリは人の心も同様に束縛し、その束縛は『理屈』を作り出した。理屈で押さえつけようとしたからだ。しかし、理屈では人は和合を取れない。和合とは『相互理解』である。」
つまり、「初お盆」などの特殊な場合を除き、ダンナの実家でという考え方が固定しています。
では、長男だけなのか?次男嫁はどうするのか?
一家の長がどれだけ学びをしているかにかかっています。
ウンケー、中日、ウークイ全ては夫の実家にて・・・という儀礼が色濃く存在している家風では、それに従うが筋でしょう。
また、ダンナの苗字を名乗っていつということは、そこの家の子になるという「人間の作ったルール」があるわけです。
神や仏が作ったルールではないです。神や仏は「どっちも大切」だそうで・・・。
故に、ダンナとしっかりと話し、義理父母にも前もって伝えるが大事。
お盆は先祖が、子孫の様子を見に来ている行事。
ですので、一番のタブーは「ケンカ」。特に仏壇前でのケンカはあきまへん。
どっちのウークイが大事なの?
どっちも大事。
だから、お互いが「ホッとホッと」できる合議を作成しておくこと。