2013年12月03日
「死んだんだ」という事実確認 そして・・・
「あーっ、私って死んだんだ・・・」
告別式・・・・死者への弔い。
それはそうなのだが、これは故人に対して、
「あなたは死んでしまいました。それでこうやってお弔いの儀式をしてます」
・・・と、故人に確認させているわけでもあります。
そして、故人はあの世へ行くための準備作業にはいるのですが、この準備期間がいわゆる「49日」。
この「49日」がどこからきてるのかについて。
以前、チベット密教のひとつ「バルド・トェ・ドル」という経典について書かれた本を読みました。
これは死者に対し、49日間の間、不眠不休で死者に語りかける儀式です。
49日までに「まばゆい光」(いわゆる天国とか、輪廻への門)に入れないと、天国ではない世界(畜生の世界、地獄など)に落ちてしまうぞという経典です。
一般的に「死者の書」と言われております。
この経典のスゴイところはですね・・・その中身よりも興味深い点に注目です。
この経典、死者の耳元で唱えます。チベット仏教の考え方。死んだものでも耳だけは聞こえるという考え方。
実はですね、心停止したとはいえ、聴力だけはギリギリ最後まで残っているそうなんです。
つまり、心臓が止まってしまっていても、耳だけは聞こえてるということ。
何故、チベット密教の経典「バルド・トェ・ドル」は、そのことを知っていたのか?
科学的根拠なんてないハズです。今の医学界だって、それを検証するのは難しいでしょう。
なぜなら・・・・
死んでも、耳は聞こえたよという事実を確認できるのは、死者と対話するしか調べる方法がないからです。
では、何をもって「死」とするのか。
例えば、心停止してから24時間経過後に「死」と認定するのが現在の日本での定義かもしれません。
なぜなら、火葬という、生き返るのが不可能な状態にするのは、心停止後24時間経ってからじゃないとダメなんです。
そして、臨死体験というヤツにも注目ですね。
心停止後の臨死経験者の話には、おどろくほどの共通点があります。
「まばゆい光」「お花畑」「家族の泣声が聞こえた」「医師の『ご臨終です』の声が聞こえて慌てた」とか・・・。
さて、後者の2例。声が聞こえた・・・。これが聴覚は最後まで生きている証明になるかもしれません。
「バルド・トェ・ドル」に限らず、日本にも「お通夜」という儀式があります。
故人を囲み、一夜を過ごす。読経と共に・・・。
「あなたは死んだんですよ」と唱えるのです。(生き返った例もあるようですけどね)
近年、49日法要を、初七日で同時に行うとい手法が目立ちます。
色々とご事情があるかと思いますが、できるだけ49日法要をやってあげてくださらないでしょうか?
「お金がかかる」「手間がかかる」という理由もあるでしょう。
ですが、こじんまりとでもいいですからお願いしたいです。
なるべくゆっくりと・・・あの世へ旅立つ支度をさせてあげたく思うものですから・・・。
↓ポチットな↓
告別式・・・・死者への弔い。
それはそうなのだが、これは故人に対して、
「あなたは死んでしまいました。それでこうやってお弔いの儀式をしてます」
・・・と、故人に確認させているわけでもあります。
そして、故人はあの世へ行くための準備作業にはいるのですが、この準備期間がいわゆる「49日」。
この「49日」がどこからきてるのかについて。
以前、チベット密教のひとつ「バルド・トェ・ドル」という経典について書かれた本を読みました。
これは死者に対し、49日間の間、不眠不休で死者に語りかける儀式です。
49日までに「まばゆい光」(いわゆる天国とか、輪廻への門)に入れないと、天国ではない世界(畜生の世界、地獄など)に落ちてしまうぞという経典です。
一般的に「死者の書」と言われております。
この経典のスゴイところはですね・・・その中身よりも興味深い点に注目です。
この経典、死者の耳元で唱えます。チベット仏教の考え方。死んだものでも耳だけは聞こえるという考え方。
実はですね、心停止したとはいえ、聴力だけはギリギリ最後まで残っているそうなんです。
つまり、心臓が止まってしまっていても、耳だけは聞こえてるということ。
何故、チベット密教の経典「バルド・トェ・ドル」は、そのことを知っていたのか?
科学的根拠なんてないハズです。今の医学界だって、それを検証するのは難しいでしょう。
なぜなら・・・・
死んでも、耳は聞こえたよという事実を確認できるのは、死者と対話するしか調べる方法がないからです。
では、何をもって「死」とするのか。
例えば、心停止してから24時間経過後に「死」と認定するのが現在の日本での定義かもしれません。
なぜなら、火葬という、生き返るのが不可能な状態にするのは、心停止後24時間経ってからじゃないとダメなんです。
そして、臨死体験というヤツにも注目ですね。
心停止後の臨死経験者の話には、おどろくほどの共通点があります。
「まばゆい光」「お花畑」「家族の泣声が聞こえた」「医師の『ご臨終です』の声が聞こえて慌てた」とか・・・。
さて、後者の2例。声が聞こえた・・・。これが聴覚は最後まで生きている証明になるかもしれません。
「バルド・トェ・ドル」に限らず、日本にも「お通夜」という儀式があります。
故人を囲み、一夜を過ごす。読経と共に・・・。
「あなたは死んだんですよ」と唱えるのです。(生き返った例もあるようですけどね)
近年、49日法要を、初七日で同時に行うとい手法が目立ちます。
色々とご事情があるかと思いますが、できるだけ49日法要をやってあげてくださらないでしょうか?
「お金がかかる」「手間がかかる」という理由もあるでしょう。
ですが、こじんまりとでもいいですからお願いしたいです。
なるべくゆっくりと・・・あの世へ旅立つ支度をさせてあげたく思うものですから・・・。
Posted by パパヒガ at 00:28│Comments(4)
│パパの雑記帳
この記事へのコメント
今年は、親族の葬儀もあったりで、
より、あの世を身近に感じる一年でした。
うちの家のように家族がバラバラに住んでると、
通常の法事の手順を踏むのは難しい、
そして、その後、ご遺骨の保管に関しても、
改葬しないと、これまた後々子供らの代で、
面倒なことになる、ってことを勉強させてもらえた、って感じでした。
これらを踏まえ、
自分があの世に行く時になったら、
「さっさとあの世にいくから、
葬儀もいらんし、戒名もいらん」と言っています。
そもそも、歴史を遡ると、
仏教が入ってきてから、こういう順番を踏まえるような感じになったんですもんね。
残る家族の負担にならんよう、
身の回りの整理も大事だけど、
あの世に行く心構えをして、
残る家族親族らの心理的な負担を減らすことも、
先に行く者の大事な仕事だなぁと思うようになりました。
ほんと、自分の場合、
死んだら、さっさとあの世に行ってる、
この世でフラフラしてない、
そんな気がしています(#´艸`)プププ
より、あの世を身近に感じる一年でした。
うちの家のように家族がバラバラに住んでると、
通常の法事の手順を踏むのは難しい、
そして、その後、ご遺骨の保管に関しても、
改葬しないと、これまた後々子供らの代で、
面倒なことになる、ってことを勉強させてもらえた、って感じでした。
これらを踏まえ、
自分があの世に行く時になったら、
「さっさとあの世にいくから、
葬儀もいらんし、戒名もいらん」と言っています。
そもそも、歴史を遡ると、
仏教が入ってきてから、こういう順番を踏まえるような感じになったんですもんね。
残る家族の負担にならんよう、
身の回りの整理も大事だけど、
あの世に行く心構えをして、
残る家族親族らの心理的な負担を減らすことも、
先に行く者の大事な仕事だなぁと思うようになりました。
ほんと、自分の場合、
死んだら、さっさとあの世に行ってる、
この世でフラフラしてない、
そんな気がしています(#´艸`)プププ
Posted by くま at 2013年12月03日 07:28
今年は周りでたくさんの方が亡くなったのですが、親が高齢で亡くなると、その子供達も33回忌まで出来ないかもしれないので、最近は告別式の時か初七日の時に、まとめて終わらせる家庭も多いですね。
また来年から消費税が上がるからと、告別式の翌日にはその家を取り壊し、新築を始めるのを見た時に、もう時代が違うんだなと感じました。
また来年から消費税が上がるからと、告別式の翌日にはその家を取り壊し、新築を始めるのを見た時に、もう時代が違うんだなと感じました。
Posted by 通りすがり at 2013年12月03日 08:59
くまさん、こんんちは。
そうなんですよね・・・。
何が大変かっていうと、残る家族の負担なんですよ。
49日法要はおっしゃる通り、仏教の影響。
本来、人はそんなもの無くても行く所に行くんです。
それを理解していれば。つまり、死んだらクヨクヨせず、次へ、次へ・・・。
生前からその意識を持ちつつ生きていくことが出来たとき、人はおそらく力いっぱい生きていけると思うんです。
そして、気持ちよくあの世に進める。
あの世に行くのを妨げるのは二つ。
故人の「後悔」と、残された家族の「後悔」だと思います。
沖縄には「チリファ」(魂切り)という儀式があります。これは、故人と残された家族とのお互いの「想い」を断ち切る儀式。(マブイワカシとも言います 魂分け)
この風習は、49日とは関連がなかったハズですが、沖縄県に仏教が入りはじめてから、49日後に行われるようになっていると思います。
仏教の影響が強くなってしまい、故人の心の中に「49日法要しないとあの世にいけない」という意識が根強いと、やはりなかなか行き難い。
「バルド・トェ・ドル」には、まばゆい光に飛び込んでしまえばいい。それで成仏。という観念があります。つまり、亡くなってスグにその光に飛び込んでしまえば、即あの世ってことですよ。
生きてる時の「死」に対する考え方の影響もありますからね。
また、突然死などの場合。故人、家族共になかなか受け入れられるもんじゃない。時間が必用な・・・そういう場合もあるということですね。
そうなんですよね・・・。
何が大変かっていうと、残る家族の負担なんですよ。
49日法要はおっしゃる通り、仏教の影響。
本来、人はそんなもの無くても行く所に行くんです。
それを理解していれば。つまり、死んだらクヨクヨせず、次へ、次へ・・・。
生前からその意識を持ちつつ生きていくことが出来たとき、人はおそらく力いっぱい生きていけると思うんです。
そして、気持ちよくあの世に進める。
あの世に行くのを妨げるのは二つ。
故人の「後悔」と、残された家族の「後悔」だと思います。
沖縄には「チリファ」(魂切り)という儀式があります。これは、故人と残された家族とのお互いの「想い」を断ち切る儀式。(マブイワカシとも言います 魂分け)
この風習は、49日とは関連がなかったハズですが、沖縄県に仏教が入りはじめてから、49日後に行われるようになっていると思います。
仏教の影響が強くなってしまい、故人の心の中に「49日法要しないとあの世にいけない」という意識が根強いと、やはりなかなか行き難い。
「バルド・トェ・ドル」には、まばゆい光に飛び込んでしまえばいい。それで成仏。という観念があります。つまり、亡くなってスグにその光に飛び込んでしまえば、即あの世ってことですよ。
生きてる時の「死」に対する考え方の影響もありますからね。
また、突然死などの場合。故人、家族共になかなか受け入れられるもんじゃない。時間が必用な・・・そういう場合もあるということですね。
Posted by 霊感パパヒガ
at 2013年12月03日 10:40

こんにちは、通りすがりさん。
さすがに33回忌はねぇ、ちょっと難しいでしょう。
もう、親戚縁者が回りに集まって住んでいるという時代ではありません。
また、血縁とはいえ顔を合わせることもなかなかない時代です。しょうがないです。
あの世とこの世は違います。
現世でのルールってのがありますよ。
あの世とこの世のバランスを取るのも困難な時代だと感じてます。
しょうがないことだとは思ってます・・・・。
そう・・・、しょうがないんですよね・・・。
さすがに33回忌はねぇ、ちょっと難しいでしょう。
もう、親戚縁者が回りに集まって住んでいるという時代ではありません。
また、血縁とはいえ顔を合わせることもなかなかない時代です。しょうがないです。
あの世とこの世は違います。
現世でのルールってのがありますよ。
あの世とこの世のバランスを取るのも困難な時代だと感じてます。
しょうがないことだとは思ってます・・・・。
そう・・・、しょうがないんですよね・・・。
Posted by 霊感パパヒガ
at 2013年12月03日 10:44
