2014年02月17日
「何が大事」かをお話してくれるのですよ。
前回の記事の続きです。
さて、混沌としてきた霊能世界ではありますが、その中でもキッチリと頑張ってらっしゃる方もいらっしゃいます。
基本、そういう方へ一度でも行ってらした相談者の方は、以下のようなお話を聞いたと思いますよ。
本当の道を進むユタさん達は、絶対に「ウガン優先」とは考えません。
生きる意味や生きる力を与えてくださいます。
もちろん、そのお話が腑に落ちないこともあるでしょう。
でも、かならず後から・・・「あぁ~、そういうことだったのかぁ!」と気付く時期が来るのです。
自分の生まれた場所、育んでくれた土地や人・・・私たちは様々な手助けからココまで成長できています。
「感謝」を忘れがちな現世ですよね・・・。
私も時として忘れてしまうことがありますよ。反省、反省でございます。
さぁ、今日もあと半日、張り切って生きましょう!!!
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さて、混沌としてきた霊能世界ではありますが、その中でもキッチリと頑張ってらっしゃる方もいらっしゃいます。
基本、そういう方へ一度でも行ってらした相談者の方は、以下のようなお話を聞いたと思いますよ。
〇 心を込めて祈れば、必ず神様はお聞きになってくださる。
〇 遠くを見つめず、まずは自分の足元から、生活基盤だったり、家族関係だったりを考える。
〇 他人にばかり依存しない。苦しくとも、失敗したとしても、そこで諦めずい幸せを追い求める。
〇 神様には「お願い」ばかりではいけない。「まずは感謝あり」
〇 御先祖は決して子孫を苦しめようとはしない。心配するだけ。
〇 生きている人間の行動、及び生霊がとても恐い。清い心と道徳心を忘れない。
〇 ウタキやウガンジュを汚さない。キレイにするよう心がける。
〇 全て「ウガン事」で決め付けない。体調不良は「医者半分 ユタ半分」ちゃんと病院にも行く。
本当の道を進むユタさん達は、絶対に「ウガン優先」とは考えません。
生きる意味や生きる力を与えてくださいます。
もちろん、そのお話が腑に落ちないこともあるでしょう。
でも、かならず後から・・・「あぁ~、そういうことだったのかぁ!」と気付く時期が来るのです。
自分の生まれた場所、育んでくれた土地や人・・・私たちは様々な手助けからココまで成長できています。
「感謝」を忘れがちな現世ですよね・・・。
私も時として忘れてしまうことがありますよ。反省、反省でございます。
さぁ、今日もあと半日、張り切って生きましょう!!!
Posted by パパヒガ at 13:34│Comments(4)
│ユタについての話
この記事へのコメント
数年前、法事で帰省した際、
うちの田舎の神社仏閣に足を運んだときのこと。
本土の場合、基本「お賽銭をいれて祈る」て感じですよね。でね、
とあるお寺に行ったとき、
たまたまほうきがあってもんで、
こっちの御嶽同様、普通に掃除をしてから祈ったんですが、
その様子をみた親が、びっくり!
掃除をして何をする?って感じ(^^;;
だから、沖縄の場合、御嶽などは、
お賽銭箱などないから、祈る際、まずは、
掃除をしてから祈るよ、って説明をしたくらい(^^;;
その祈りも、まずは、感謝を伝えるよって。
そしたら、それにまたまた驚いた様子(^^;
親の世代でさえ、お賽銭を入れて、
自分の希望(願い)を伝えるのが当たり前、
って感じ。
掃除をしたり感謝を伝えるってことって、
頭では分かっていても、
いざ行動となった場合、意識の中には無いかも(^^;;
だから、まずは、感謝を伝えるってことを、
気がついた人から、
伝えていくっての大事なんだなぁって思うようになりました。
沖縄に観光でこられた人の中には、
御嶽などにも行きたいという方もいらして、
案内が出来る場所には案内してるけど、
その時も、祈る際には、
願いを伝えるのではなく、
まずは、ここの神様に会いにこれたことに感謝を伝えて、
と言っています。
どうしても、パワースポット的目線になってしまいますもんね(^^;;
うちの田舎の神社仏閣に足を運んだときのこと。
本土の場合、基本「お賽銭をいれて祈る」て感じですよね。でね、
とあるお寺に行ったとき、
たまたまほうきがあってもんで、
こっちの御嶽同様、普通に掃除をしてから祈ったんですが、
その様子をみた親が、びっくり!
掃除をして何をする?って感じ(^^;;
だから、沖縄の場合、御嶽などは、
お賽銭箱などないから、祈る際、まずは、
掃除をしてから祈るよ、って説明をしたくらい(^^;;
その祈りも、まずは、感謝を伝えるよって。
そしたら、それにまたまた驚いた様子(^^;
親の世代でさえ、お賽銭を入れて、
自分の希望(願い)を伝えるのが当たり前、
って感じ。
掃除をしたり感謝を伝えるってことって、
頭では分かっていても、
いざ行動となった場合、意識の中には無いかも(^^;;
だから、まずは、感謝を伝えるってことを、
気がついた人から、
伝えていくっての大事なんだなぁって思うようになりました。
沖縄に観光でこられた人の中には、
御嶽などにも行きたいという方もいらして、
案内が出来る場所には案内してるけど、
その時も、祈る際には、
願いを伝えるのではなく、
まずは、ここの神様に会いにこれたことに感謝を伝えて、
と言っています。
どうしても、パワースポット的目線になってしまいますもんね(^^;;
Posted by くま at 2014年02月17日 16:13
くまさん、こんばんは。
暑くなったり寒くなったりと、体調管理の難しい天候が続いてます。
ご機嫌いかがですか?
さて、風習、風俗は、その土地土地で違うものです。長い時間をかけて培われた儀式、しきたりは、よかれと考えられ、そして練りなおされながら受け継がれてきています。
「これが正解」っていう線引きを引くのは、まさしく神のみぞ知るってところかもしれませんね。
ただ、今ココに私たちがいて、雨風しのげる家があり、飢えに困らないほどの食物に囲まれ、科学の発達による病苦からの解放。学校教育。
私たちが当たり前と思って受けている今の幸せは、実は当たり前のものではないことを覚えておいたほうがいいですよね。
この環境で生きていることへの感謝は、万国共通の考えだと思います。
沖縄の風習としてのウタキの存在は、私たちの生活に深く根付いており、「掃除」なる習慣も「当たり前」と感じていることがほとんどでしょう。
しかし最近は、線香、燃やしたウチカビのカス、供物の残しなどがウタキに散在していることも多くあり、心が痛みます。
パワースポット的な考え方も間違っちゃいないかもしれません。
ですが、ココまで無事に来れた「ご縁」や導きに感謝し、挨拶から始まる祈りは忘れないで欲しく思いますね。
本来、「神んちゅ」しか入ってはいけない場所もあり、そこを観光化するのには抵抗ありますが・・・。
いずれにせよ、ウタキの詣でるのも、まずは「礼儀」あり。
ありがたや~、ありがたや~!!!
暑くなったり寒くなったりと、体調管理の難しい天候が続いてます。
ご機嫌いかがですか?
さて、風習、風俗は、その土地土地で違うものです。長い時間をかけて培われた儀式、しきたりは、よかれと考えられ、そして練りなおされながら受け継がれてきています。
「これが正解」っていう線引きを引くのは、まさしく神のみぞ知るってところかもしれませんね。
ただ、今ココに私たちがいて、雨風しのげる家があり、飢えに困らないほどの食物に囲まれ、科学の発達による病苦からの解放。学校教育。
私たちが当たり前と思って受けている今の幸せは、実は当たり前のものではないことを覚えておいたほうがいいですよね。
この環境で生きていることへの感謝は、万国共通の考えだと思います。
沖縄の風習としてのウタキの存在は、私たちの生活に深く根付いており、「掃除」なる習慣も「当たり前」と感じていることがほとんどでしょう。
しかし最近は、線香、燃やしたウチカビのカス、供物の残しなどがウタキに散在していることも多くあり、心が痛みます。
パワースポット的な考え方も間違っちゃいないかもしれません。
ですが、ココまで無事に来れた「ご縁」や導きに感謝し、挨拶から始まる祈りは忘れないで欲しく思いますね。
本来、「神んちゅ」しか入ってはいけない場所もあり、そこを観光化するのには抵抗ありますが・・・。
いずれにせよ、ウタキの詣でるのも、まずは「礼儀」あり。
ありがたや~、ありがたや~!!!
Posted by 霊感パパヒガ
at 2014年02月17日 23:47

ぱぱさん、お忙しいなかお返事ありがとう。
ちょっと、補足まで。
言葉を選んで書き込んでるもんで、
ついつい、肝心なことを書き込むことを忘れていて(^^;;
もちろん、拝み方など、地域性があることは理解しています。
その昔、田舎などは、小さなお堂などに詣でて祈りをしていたと思います。
小さな集落だけあって、きちんと手入れもされていたと思うんですが、
段々、時代の流れとともに、
まずは掃除をするとか、感謝を伝えるとか、
そういう意識が、
遠のいてると感じてるんです。
沖縄に長く住み、沖縄の祭祀を見て感じ、
本土に帰ると、その違い、すごく実感です。
また、本土で薄れていく意識も、実感です。
また逆に、こっちは、神様が身近な分、
その拝みの後が散らかってるのが、
逆に目に付きます。
長く続く習慣といえど、なんとかならんのか?と思うことよくありますもん。
そして、案内するときも、
場所を選ぶって感じで
むやみにあちこちは案内はしてないので、
ご安心をば。
ぱぱさんがおっしゃるように、
ニンゲンは環境に生かされてる。
どこに住んでも、
そして、
御嶽などに行くにしても、
縁があってのこと。
感謝をほんと忘れちゃ~ならんと
つくづくおもわされています。
ちょっと、補足まで。
言葉を選んで書き込んでるもんで、
ついつい、肝心なことを書き込むことを忘れていて(^^;;
もちろん、拝み方など、地域性があることは理解しています。
その昔、田舎などは、小さなお堂などに詣でて祈りをしていたと思います。
小さな集落だけあって、きちんと手入れもされていたと思うんですが、
段々、時代の流れとともに、
まずは掃除をするとか、感謝を伝えるとか、
そういう意識が、
遠のいてると感じてるんです。
沖縄に長く住み、沖縄の祭祀を見て感じ、
本土に帰ると、その違い、すごく実感です。
また、本土で薄れていく意識も、実感です。
また逆に、こっちは、神様が身近な分、
その拝みの後が散らかってるのが、
逆に目に付きます。
長く続く習慣といえど、なんとかならんのか?と思うことよくありますもん。
そして、案内するときも、
場所を選ぶって感じで
むやみにあちこちは案内はしてないので、
ご安心をば。
ぱぱさんがおっしゃるように、
ニンゲンは環境に生かされてる。
どこに住んでも、
そして、
御嶽などに行くにしても、
縁があってのこと。
感謝をほんと忘れちゃ~ならんと
つくづくおもわされています。
Posted by くま at 2014年02月18日 07:13
くまさん、お気遣いありがとうございます。
「時代が違うから」とか、「古い考え」だとか・・・。
温故知新とは言うけれど、変えられないモノとか、変えてはいけないモノとか・・・色々ありますよね。
ふぅ~、忙しくなればなるほど考えさせられることでいっぱいです。
複雑ですね・・・今の世の中・・・。
ちょいとお疲れのパパでございます。
「時代が違うから」とか、「古い考え」だとか・・・。
温故知新とは言うけれど、変えられないモノとか、変えてはいけないモノとか・・・色々ありますよね。
ふぅ~、忙しくなればなるほど考えさせられることでいっぱいです。
複雑ですね・・・今の世の中・・・。
ちょいとお疲れのパパでございます。
Posted by 霊感パパヒガ
at 2014年02月18日 18:19
