2014年05月05日
ひとりぼっちの夜に・・・思い出す
妻と子供が女房の実家で尾徒真理の夜。
ひとりぼっちの夜に・・・
昔を思い出すパパ比嘉です。
ウチカビはキッチリ過不足無くそろっているか、シルカビはきっちりと作られているか、線香の長さや欠けはないか、ウサンミは、ウチジヘーシーは・・・。
ウガンの前夜はいつも戦々恐々。
「通るかな・・・?」「大丈夫かな・・・?」
グイス(祝詞)のチェック・・・。
ドロップアウトする前、私が気にしていたのはウタキに対する「感謝」とかではなく、物が揃っているかとか、ちゃんと通るかという不安感ばかりでした。
でもね、勘違いしないで欲しいです。
ウタキに対する儀式自体はすばらしいものです。
これも「礼節」のひとつ。これは省略してもいいだろうということはなく、妥協ももちろんなし。
あれが足りない、これが足りない、あれじゃダメ、これもダメと、何度と無く行き来したウタキも沢山ありました。
現場に行ってから、「あり! 足りないよ~」と、ウタキの主から伝えられたお言葉の数々は、妥協や省略はしていけないという学びを頂きました。
これは、今の鑑定にも生きています。
だから、鑑定には妥協しません。
依頼人の未来開拓のためのウタキ探しに四苦八苦です。(現在2件抱えてますね。読谷村のとあるヒヌカン。そしてうるま市のとあるウタキ)
どこも開発で無くなってしまってますが、「痕跡」はどこかにあるハズで・・・読谷村のはかれこれ5ヶ月探してます。
昔もあちこち探しましたね・・・なつかしいなぁ・・・。
やぶの中を30分近く歩いたなぁ・・・。ナタで切り開きながら・・・。まるで探検隊!
途中、野良犬に囲まれたりもしたなぁ・・・。
一番凄かったのは・・・あれだな・・・。
那覇市の繁華街。
そこに「あるハズ」の井戸探し。夢に出てきた「井戸」探し。
そこは、近代化した町並みのハズレにある廃屋長屋。いわゆるバラック!

時刻は夜の11時頃でしたね・・・
ライトを持って、防犯スプレーも持って、その中へと入っていくんですよ。
もうね、くもの巣は張ってるわ、ゴキブリちゃんはカサコソいってるわ、ネズミ君はチュンチュン大騒ぎですよ。
それだけじゃなく、いきなり人が寝ていたりでね・・・
「・・・なんですか・・・何してるんですか?」・・・とその寝てる人。
「いやぁ、ちょっと・・・調査で井戸を探してましてね・・・」
「井戸・・・こんな時間に・・・恐いですよアナタ・・・」
そこにいらしたホームレスの方にしてみれば、私の存在、行動は恐怖そのものだったでしょうね。
「実は・・・サーダカ生まれでして・・・こんな時間ですが、井戸探してます!」
「・・・・はぁ・・・どうぞ・・・・。」
恥ずかしいのなんのってね・・・暗かったですが、もうね・・・赤面ですよ、ハイ。
壊れたイス・・・。ほこりのかぶったカウンター。裏口を通り抜け、バラックの中心部へ・・・
トタン作りの建物の中心部には、ちょっとした「庭」がありましたね。まぁ、ゴミだらけでしたけど。
上を見上げると、綺麗な月がこうこうと・・・。
台風ではがれたのでしょう、そこにはトタン屋根の残骸がびっしりです。
踏んづけながら先を進んで行きますのよ・・・。
するとね・・・かすかに聞こえるんですよ・・・モーター音が。
見つけた~!って思いました。
バラックとバラックの狭間。だいたい30センチくらいの建物の隙間にそれはありました。
地下水を汲み上げるモーター。
そこだ・・・そこが夢に出てきた「井戸」だぁ~!
持ってきた線香を灯し、狭い隙間にしゃがんで拝むパパ比嘉。
火事になってはいけないので、線香が燃え尽きるまでそこにたたずみ・・・また空を見上げます。
月は移動し、もう見えない。
時刻は12時前。
30分くらいそこにいましたね。
数日後そのバラックは解体、撤去され・・・・開発されてしまいました。
解体されたその日、私はなんとなくそこに行きました。
解体されたことを知らずにです。
現場に行ってみると、そこはもう赤土の地面しかありませんでした。ショックでした。
その地面から一本のパイプが突き出ていましたね。ちょうど井戸があった辺り。
「すみません。せっかく見せて、教えてくださったのに、今の私にはもうどうすることも出来ません」
「・・・・しょうがありません。 でも、私を見つけてくれて・・・・ありがとう」
あれからもう5年・・・
今は立派な建物があります。
井戸があった痕跡は・・・もうどこにもありません。
近くにある大きな下水道を見に行きました。
そこは雨水を流すための下水道。
その日は雨なんて降っていません。
でも、下水道には水の流れる音。
きっと、あの井戸の湧き水を流しているんだな・・・って思いました。
私たちは覚えておく必要があるハズです。
我々の先人たちが、命をつないだあちこちの井戸や湧き水、川などのことを・・・。
蛇口をひねれば水が出る時代です。
井戸はもう必要ないかもしれません。
でも、私たちが今ココにいるのは、おじいちゃんおばあちゃん。ひいおじいちゃんおばあちゃん。ひいひいおじいちゃんおばあちゃん。御先祖様たちがつない命があったればこそです。
ひとりぼっちの夜に・・・そんなことを思い出しました。
今ある井戸だけがありがたいんじゃない。
こうやって、生活に即した数々の井戸たちの存在も覚えておかなくてはならないと思います。
井戸は開運、先祖供養の為だけのものじゃない。
井戸は「命」そのものだったんですねぇ・・・。感謝です。
ひとりぼっちの夜に・・・
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昔を思い出すパパ比嘉です。
ウチカビはキッチリ過不足無くそろっているか、シルカビはきっちりと作られているか、線香の長さや欠けはないか、ウサンミは、ウチジヘーシーは・・・。
ウガンの前夜はいつも戦々恐々。
「通るかな・・・?」「大丈夫かな・・・?」
グイス(祝詞)のチェック・・・。
ドロップアウトする前、私が気にしていたのはウタキに対する「感謝」とかではなく、物が揃っているかとか、ちゃんと通るかという不安感ばかりでした。
でもね、勘違いしないで欲しいです。
ウタキに対する儀式自体はすばらしいものです。
これも「礼節」のひとつ。これは省略してもいいだろうということはなく、妥協ももちろんなし。
あれが足りない、これが足りない、あれじゃダメ、これもダメと、何度と無く行き来したウタキも沢山ありました。
現場に行ってから、「あり! 足りないよ~」と、ウタキの主から伝えられたお言葉の数々は、妥協や省略はしていけないという学びを頂きました。
これは、今の鑑定にも生きています。
だから、鑑定には妥協しません。
依頼人の未来開拓のためのウタキ探しに四苦八苦です。(現在2件抱えてますね。読谷村のとあるヒヌカン。そしてうるま市のとあるウタキ)
どこも開発で無くなってしまってますが、「痕跡」はどこかにあるハズで・・・読谷村のはかれこれ5ヶ月探してます。
昔もあちこち探しましたね・・・なつかしいなぁ・・・。
やぶの中を30分近く歩いたなぁ・・・。ナタで切り開きながら・・・。まるで探検隊!
途中、野良犬に囲まれたりもしたなぁ・・・。
一番凄かったのは・・・あれだな・・・。
那覇市の繁華街。
そこに「あるハズ」の井戸探し。夢に出てきた「井戸」探し。
そこは、近代化した町並みのハズレにある廃屋長屋。いわゆるバラック!
イメージ画像・・・こんな感じってことです。実際の現場ではありません。

時刻は夜の11時頃でしたね・・・
ライトを持って、防犯スプレーも持って、その中へと入っていくんですよ。
もうね、くもの巣は張ってるわ、ゴキブリちゃんはカサコソいってるわ、ネズミ君はチュンチュン大騒ぎですよ。
それだけじゃなく、いきなり人が寝ていたりでね・・・
「・・・なんですか・・・何してるんですか?」・・・とその寝てる人。
「いやぁ、ちょっと・・・調査で井戸を探してましてね・・・」
「井戸・・・こんな時間に・・・恐いですよアナタ・・・」
そこにいらしたホームレスの方にしてみれば、私の存在、行動は恐怖そのものだったでしょうね。
「実は・・・サーダカ生まれでして・・・こんな時間ですが、井戸探してます!」
「・・・・はぁ・・・どうぞ・・・・。」
恥ずかしいのなんのってね・・・暗かったですが、もうね・・・赤面ですよ、ハイ。
壊れたイス・・・。ほこりのかぶったカウンター。裏口を通り抜け、バラックの中心部へ・・・
トタン作りの建物の中心部には、ちょっとした「庭」がありましたね。まぁ、ゴミだらけでしたけど。
上を見上げると、綺麗な月がこうこうと・・・。
台風ではがれたのでしょう、そこにはトタン屋根の残骸がびっしりです。
踏んづけながら先を進んで行きますのよ・・・。
するとね・・・かすかに聞こえるんですよ・・・モーター音が。
見つけた~!って思いました。
バラックとバラックの狭間。だいたい30センチくらいの建物の隙間にそれはありました。
地下水を汲み上げるモーター。
そこだ・・・そこが夢に出てきた「井戸」だぁ~!
持ってきた線香を灯し、狭い隙間にしゃがんで拝むパパ比嘉。
火事になってはいけないので、線香が燃え尽きるまでそこにたたずみ・・・また空を見上げます。
月は移動し、もう見えない。
時刻は12時前。
30分くらいそこにいましたね。
数日後そのバラックは解体、撤去され・・・・開発されてしまいました。
解体されたその日、私はなんとなくそこに行きました。
解体されたことを知らずにです。
現場に行ってみると、そこはもう赤土の地面しかありませんでした。ショックでした。
その地面から一本のパイプが突き出ていましたね。ちょうど井戸があった辺り。
「すみません。せっかく見せて、教えてくださったのに、今の私にはもうどうすることも出来ません」
「・・・・しょうがありません。 でも、私を見つけてくれて・・・・ありがとう」
あれからもう5年・・・
今は立派な建物があります。
井戸があった痕跡は・・・もうどこにもありません。
近くにある大きな下水道を見に行きました。
そこは雨水を流すための下水道。
その日は雨なんて降っていません。
でも、下水道には水の流れる音。
きっと、あの井戸の湧き水を流しているんだな・・・って思いました。
私たちは覚えておく必要があるハズです。
我々の先人たちが、命をつないだあちこちの井戸や湧き水、川などのことを・・・。
蛇口をひねれば水が出る時代です。
井戸はもう必要ないかもしれません。
でも、私たちが今ココにいるのは、おじいちゃんおばあちゃん。ひいおじいちゃんおばあちゃん。ひいひいおじいちゃんおばあちゃん。御先祖様たちがつない命があったればこそです。
ひとりぼっちの夜に・・・そんなことを思い出しました。
今ある井戸だけがありがたいんじゃない。
こうやって、生活に即した数々の井戸たちの存在も覚えておかなくてはならないと思います。
井戸は開運、先祖供養の為だけのものじゃない。
井戸は「命」そのものだったんですねぇ・・・。感謝です。
Posted by パパヒガ at 00:06│Comments(2)
│パパの修行についてのお話
この記事へのコメント
こんにちわ。
いつもブログを読んでます。
ホームレスさん、パパ比嘉さんの存在は間違いなくとても怖かったでしょうね(笑)(笑)(笑)その光景を想像して少し笑ってしまいました!
井戸のお話で質問です。
井戸、若しくは井戸があった場所というのは、各地域の方(自治会など)も知らず、調べても、どうしても探せなかった場合、霊感も何もない人はどのようにして感謝の意を示すのですか?心の中で祈るだけでも伝わりますか?
以前、亡くなった父の三年忌直前に、拝みで母と共にユタさんを連れて伊江島(父の故郷)に行きました。その時に確か大きな井戸の跡で拝みをしました。当時は井戸で拝みをする意味が全く分からず、ただ私は荷物持ちで付いて行ったというだけなのですが、拝み途中でユタさんがいきなり
『お父さんが、“酉年の女の子(私)、忘れないでね”と言っているよ』と言いました。
私は少しビックリして戸惑いました。内心、『父親のこと忘れるわけないじゃん、しかも三年忌もまだなのに・・・このユタさん怪しいじゃないの―――』と思っていました。
今考えると、“父親を忘れるな”という意味ではなく、“井戸を忘れるな”ということだったのかしら?と思っています。(パパ比嘉さんのブログを読ませて頂いたので)
そこで、、私が住んでいる地域に井戸があるかもしれない~と思って探しましたがなかなか見つかりません。仕方なく心の中で感謝しながら祈りました。氏神様へもその旨伝えています。
ただ、昔の井戸を調べる良い方法があれば教えて頂きたいなと思いましてコメントしました。前置きが長すぎてすみません(笑)!!宜しくお願いします♪
いつもブログを読んでます。
ホームレスさん、パパ比嘉さんの存在は間違いなくとても怖かったでしょうね(笑)(笑)(笑)その光景を想像して少し笑ってしまいました!
井戸のお話で質問です。
井戸、若しくは井戸があった場所というのは、各地域の方(自治会など)も知らず、調べても、どうしても探せなかった場合、霊感も何もない人はどのようにして感謝の意を示すのですか?心の中で祈るだけでも伝わりますか?
以前、亡くなった父の三年忌直前に、拝みで母と共にユタさんを連れて伊江島(父の故郷)に行きました。その時に確か大きな井戸の跡で拝みをしました。当時は井戸で拝みをする意味が全く分からず、ただ私は荷物持ちで付いて行ったというだけなのですが、拝み途中でユタさんがいきなり
『お父さんが、“酉年の女の子(私)、忘れないでね”と言っているよ』と言いました。
私は少しビックリして戸惑いました。内心、『父親のこと忘れるわけないじゃん、しかも三年忌もまだなのに・・・このユタさん怪しいじゃないの―――』と思っていました。
今考えると、“父親を忘れるな”という意味ではなく、“井戸を忘れるな”ということだったのかしら?と思っています。(パパ比嘉さんのブログを読ませて頂いたので)
そこで、、私が住んでいる地域に井戸があるかもしれない~と思って探しましたがなかなか見つかりません。仕方なく心の中で感謝しながら祈りました。氏神様へもその旨伝えています。
ただ、昔の井戸を調べる良い方法があれば教えて頂きたいなと思いましてコメントしました。前置きが長すぎてすみません(笑)!!宜しくお願いします♪
Posted by Ace at 2014年05月06日 10:57
Aceさん、こんにちは。
井戸探しお疲れさまです。
蛇口をひねれば水が出てくる現代にとって、井戸はもう史跡という位置づけになってしまっいるのが現実でしょう。
しかし、昔は間違いなく「生命線」であったわけです。
作物を作り、家畜を養い、生活に使う。
「生きる」のに必要なモノであったのですね。
私たちは今、スーパーで野菜や肉類、食物を購入して生きています。
価格や品質に目が行き、その食物を育てている現場。畑や牧場の存在を意識しながら購入することは希でしょう。
井戸を探して感謝する気持ちを伝えることは最良です。惜しいことに、日々の買い物において、その作物の背景を考えながら購入することで、井戸の本質である「水の大事さ」に対する感謝が出来るということを、多くの方は気付いていません。
それに気付くだけで最高です。
そこを踏まえたうえで、地元の井戸探しをすることが望ましいかと思います。
井戸というのは生活に即したモノ。
故に、昔の家には井戸が結構ありますよ。
「〇〇ガー」という名前の付いた井戸も多くありますが、それ以外の「名前のない井戸」も数多く存在します。とてもとても多いです。
昔の井戸のほとんどが埋められたりしていてわかりません。
道になっていたり、建物が建っていたり。
どうしても知りたいならば、地元に自治会nなどに「地域史」があるハズです。
それを参考にすると良いかと思いますよ。
大事なのは、井戸そのものの存在ではなく、井戸によって生かされてきた、生きてこられたことへの「感謝」「だと私は思います。
Aceさんのお父様は、「井戸を忘れるな」という気持ちと、「井戸によって生きてこられたんだよ、覚えていてね」というお気持ちがあったのだろうと思います。
良いお話を書いてくださってありがとうございます。
井戸探しお疲れさまです。
蛇口をひねれば水が出てくる現代にとって、井戸はもう史跡という位置づけになってしまっいるのが現実でしょう。
しかし、昔は間違いなく「生命線」であったわけです。
作物を作り、家畜を養い、生活に使う。
「生きる」のに必要なモノであったのですね。
私たちは今、スーパーで野菜や肉類、食物を購入して生きています。
価格や品質に目が行き、その食物を育てている現場。畑や牧場の存在を意識しながら購入することは希でしょう。
井戸を探して感謝する気持ちを伝えることは最良です。惜しいことに、日々の買い物において、その作物の背景を考えながら購入することで、井戸の本質である「水の大事さ」に対する感謝が出来るということを、多くの方は気付いていません。
それに気付くだけで最高です。
そこを踏まえたうえで、地元の井戸探しをすることが望ましいかと思います。
井戸というのは生活に即したモノ。
故に、昔の家には井戸が結構ありますよ。
「〇〇ガー」という名前の付いた井戸も多くありますが、それ以外の「名前のない井戸」も数多く存在します。とてもとても多いです。
昔の井戸のほとんどが埋められたりしていてわかりません。
道になっていたり、建物が建っていたり。
どうしても知りたいならば、地元に自治会nなどに「地域史」があるハズです。
それを参考にすると良いかと思いますよ。
大事なのは、井戸そのものの存在ではなく、井戸によって生かされてきた、生きてこられたことへの「感謝」「だと私は思います。
Aceさんのお父様は、「井戸を忘れるな」という気持ちと、「井戸によって生きてこられたんだよ、覚えていてね」というお気持ちがあったのだろうと思います。
良いお話を書いてくださってありがとうございます。
Posted by 霊感パパヒガ
at 2014年05月06日 12:17
