どⅯと加護とどっちやねん!

パパヒガ

2017年12月05日 11:17

本日の投稿は、このブログで初めてとなる「スマホ」での投稿です。

ガラケーを使い慣れたおっさんパパ比嘉にとって、スマホはもうちんちくりん状態のシロモノなのです。

電話とメールで十分に満足して生きてこられたのに、それをはるかに上回る機能を持ったスマホ・・・。

便利そうで不便。

さて、パパ比嘉の加護者である「百太郎」はあくまでも仮名。ちゃんとした名前があり、その名は意外と知れ渡っていると思います。

でも、百太郎はこう言うのです。

「おまえ自身の魂を磨き、言葉を磨き、心を磨き、それを自身と他者に循環させてね」・・・ですって。

上記の言葉はだーいぶ前にわたしにつぶやいた言葉。


今ではほぼ・・・


「それでよし!」・・・とか


「それはダメ!」・・・とか。



たまに詳細な言葉をもらえるのですが、それはあくまでも他者に関したこと。

私には細かい指示はありませんね。


百太郎はかなりの「どⅯ」です。


試練ばっかり、試験ばっかり。それでいてキチっとした解答集は貰えず。

自身で体験し、調べたことが答えだ!みたいな感じですわ。

私が必死で調べて体験して学んでいる最中に、きっと百太郎は・・・





・・・そんな感じでいるんだろうなと・・・


つよーく、感じております!


でも、どうしようもなくせっぱ詰まったとき。

にっちもさっちもいかなくなってしまったときはしっかりと手を差し伸べてくれる。

一生付き合っていくにはかなり厳しい方ですが、そればかりではなく「お茶目」なところもあるから付き合っていけます。



毎日毎週毎月毎年、私に課す課題、問題はどんどん高いハードルとなって設定されていきます。


ココ最近の高いハードルは、


「他者に最適な道を示せ、しかし、すべてを話すな、導け!」


この課題。実はむかしむかし、生前のお釈迦様がぶちあたった課題でもあります。


お釈迦様が悟りを開かれ、それを人々に伝えるとき、とても大変だったと思います。

その頃はまだまだ義務教育なんてありませんし、本も数えるほど。まして、宇宙、万物の創生や成り立ちなんて人々にすぐに通じるわけないです。

そこでお釈迦様は、「その人に合った言葉。伝わる言葉。受け入れる言葉」を使い、悟りの境地についてを数十年かけて伝え歩いたわけです。


同じようなことなのかと思うと、「あと何年かかるんじゃ」と・・・サンサンと輝く太陽を見つめながら「バカ〇ロー」と叫びたくもなりますが。


それはさておき、これも修行だわなと思って生きておりますの。

これはなにも「私だけ」のことではありません。

子どもを教育していく、しつけて行く上でも同じことが言えるのではと感じます。

新人社員の教育もしかり。親子間、夫婦間でも、友人同士でもです。


「その人にあった言葉。伝わる言葉。受け入れる言葉」


言葉というのはとても貴重で、しかし、とてももろくて鋭い刃のようなもの。


人間が人間として生きていけるのは、意思伝達をとても細かくできるように発展した「言葉」があったからです。


現代はとても便利なモノが次々と発明されています。


初めての人類が誕生し、言葉を「授かった」時。


今の人類が、さらに便利なモノを発明して「使われる」時。


どれも似たような感じだと思いますね。



使う人間しだい!







上の動画は、「2001年宇宙の旅」という映画の冒頭のシーンです。

もっと詳細な動画は以下に・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ML1OZCHixR0



「モノリス」という黒い物体が突然、人類の前に現れる。

「モノリス」が影響し、人類に進化を・・・。

「便利」なモノを・・・。


そんなことを思いながら、「便利」なハズのスマホをいじくりいじくりしながら数時間経過しております。

みなさま本日も、良いお導きのご縁がつながります様にと祈っております。





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