六徳⑤ 今の状況を受け入れる
「くさらない」 「おごらない」
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自分の境遇を恨むことなく、また、それにおごることなく、自分の境遇を受け入れて努力することが大切です。
私たちは生前、自分の運命を選んで生まれてきています。
「あぁ~、あの家のあの家族のところに生まれてみようっと! 良いですか神様!」
私たちはこの世に、何かしらの役目を持って生まれてきていますのよ。
宿命とか、運命とか・・・そういう言葉で置き換えてみてもいいです。
しっくりくる言葉・・・「天命」・・・ですかね。
公務員になるべくして生まれてきた子は、字の如く「おおやけの場に置いて、職務を全うして仕える」。
清掃業になるべくして生まれてきた子は、地域の清浄化に尽力し、人々が心清らかに過ごせるような職務を全うすべく生まれてきています。
教師になるべくして生まれてきたこは、次世代の育成を天命として生まれてきており、子供たちの社会参加の下準備を整えるべく生まれてきています。
そういった職分とでもいいますか、天命を察するには、様々な経験を積み重ねて体験し、失敗しながら成功を重ね、やがて自分の生きる道を見つけるのです。
本来、赤ん坊時代のまだまだ言葉を話せない我々は、自分の天命を知っていて生まれてくることが多いと思います。
その記憶はやがて薄れていきます。
でも、心の奥にある「職分」のさだめは、生きていくうちに様々な「掲示」として目の前に現れてきます。
そして、その職分を全うするため、生まれてからその職務に到達するまで、さまざまなシチュエーションと偶然の巡り合わせを経験します。
例えば、幼い頃に育った双子。父親はかなりの酒乱でアルコール依存症。
その双子にも手を上げていて、子供は親に対する嫌悪感が芽生えてしまいます。
さて、その双子が成長し、1人はアルコール依存症を治すドクターになり、もう1人は、父親同じようなアルコール依存症になってしまった。
さて、この成長した双子に同じ質問をしてみたところ、二人とも同じ文言で、しかしその結果は別々の答えを出しました。
質問・・・「どうしてあなたは今の人生を歩んでいるのですか?」
双子①・・・「あのオヤジがいたからさ!」
双子②・・・「あのオヤジがいたからさ!」
双子①はアルコール依存症を克服させるドクターになり、双子②は、父親と同じくアルコール依存症になってしまいました。
この双子は同じ境遇なれど、その境遇から得た教訓や気付きから、進む方向がまったくの逆になってしまいました。
さて、今の境遇を「
くさって」生きていたならば、おそらく双子②になってしまうことでしょう。
実るほど、頭を垂れる 稲穂かな
生活や仕事が充実すればするほど、それは自分ひとりの努力の賜物ではない。
様々な人の「助け」あってこそのもの。
まるで、「自分ひとりでやった!」などとおごったりしてはいけません。
私たちは必ずや、人の手を借りて生きていっております。
「オレ、ひとりでやった!」 「お前ら感謝しろよ」・・・などとおごってはいけません。
くさらず、おごらず、常に進歩と努力の道を探求。
いつの日か、必ずやってくる幸せへの道のりは、頭を垂れて生きていくと分かるかもしれません。