「わたくし〇〇と申します。初めまして。実は、悩みというものは無いのですが、比嘉さんに会ってみたいと思って・・・」
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我が百太郎先生の望みは・・・、
「万人が、幸せを平等に受ける義務がある。それを完遂するための道のりを「作る者」を育ててね~」・・・。
時折ブログでも書いてますが、「幸せ」になるための方策として「拝み」というのがあります。
以前は、なんでもかんでも「拝み」をして、やれウチカビだわやれお重箱だ、お餅だ、ヒラウコー百数十本・・・。
県内あっちこっちの拝所に行ったりきたりの生活をしていました。
しかし今、重箱やウチカビ、ヒラウコーを多量に用いた拝みをほとんどしません。
必要なだけ使います。
百太郎先生の望みは、「幸せへの道のりを作る者を育てよ」です。
拝みで幸せになる方法を教えよとは、ひとことも言いません。
ココで言う、「幸せを作る者」とは、親であり、「長」と名のつくものであり、また、これから「親」となり「長」となり、そして大人と言われる全ての人であります。
簡単に言うと、「次世代を育み、鍛え、次の世代を教え諭すことのできる者を育成しなさい」ということです。
冒頭にあります。
「すみません、悩みはないのですが、ちょっと興味ありまして・・・」
こういった依頼が増えてきました。
本当にありがたいです。
今現在、大変な悩みはないんだけれども、「何か」が足りない。生きていくうえで必要なお金や健康はなんとか保ってはいる。
しかし、何かが足りないような気がする・・・・
こういった方たちにお会いして、現在の状況を聞いてみたところ、全ての皆さんが、キッチリと「拝みごと」をやっているとは言えませんでした。
中には、「ヒヌカン」が無い。「特定の宗教がある」 「シーミー」に行ったことが無いという方も。
それなのにどうして現状に「特別な問題がなかったのか?」
皆さんに共通していたのが、「笑顔」と「アイサツ」がステキだったこと。
そして、「めそめそ」「くよくよ」していないということ。
そこに、六徳の全てを丁寧にお話させていただき、次世代育成をお願いしたところ・・・。「ハイ!」という返事を頂きました。
しかし、「この六徳は、人に教えるものではなく、まずは超自己中心的に実践してください」とお話しています。
「おう!この教えはすげぇから、お前らも勉強しろ!」・・・・ではなくて。
「ん?最近なんだか顔色も良くなって、どこかすがすがしい雰囲気がしますね?どうしたんですか?」・・・と聞かれたら話して下さいと言ってます。
六徳は、自己啓発とはちょっと違います。
もっともっと基礎に帰るというか、なんというか・・・。
二本足で歩いた私たちは、足も遅いし、機敏さも失うし・・・。
子育てにはすごく時間がかかるようになるし、子供は多産ではないし・・・。
意外に攻撃的で、利己主義で。
増えすぎて競争して。
それでもなんとかして生き残っているのはなぜなんだろうか。
それをもう一度思い起こして生きていこう。
それが六徳といってもいいかもしれません。
六徳を実践していった仲間達は、想定外の経験をしてきています。
「何でこうなってるのか自分でも不思議」・・・って!
この体験のポイントは、想像していなかったことが起き。・・・ということ。
次世代にこれを教え諭すのは、情報過多のこの時代。
先行きを見通し、最初っから「諦め気味」「予測済」の論理に押しつぶされそうな若者達を、元気付けたいんです。
私ひとりでは限界があります。
「すみません、悩みはないのですが、ちょっと興味ありまして・・・」
こういった方との面談も巡り合わせです。
そして、次世代育成の方がたでもあります。
これから、こういったことが起こってくるのでしょうね・・・。