六徳仲間さんがふかーく関わった演劇が、うるま市市民芸術劇場で、2月8日に開演でーす。
戦後すぐ、「笑い」で命のお祝いをし、人々の心を救った偉人のお話です。
詳細は、以下の画像をクリックして確認してくださいね。
どうぞよろしくお願いします。ハイ!
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世の中には、人を批判したり悪口を言って悲しませたりする人は大勢います。
友達だったり、兄弟姉妹だったり、職場仲間だったり・・・。ヘタすると親が言ったりもする。
言う方が、この言葉が人を傷つけるって理解できていたら言いません。普通は。
だけど、どうしても言ってしまう人もいるわけです。
これは、この人の「欠点」なわけです。
本来なら治すほうがいい。
だ・け・ど・・・こういうのは幼少期からのクセであることが多い。
何でそうなるの?
私は、本来の人間というのは「善」の生き物であると確信しています。
なぜなら、人っていうのはですね。
人を助けるために生まれてくるから。
特にお母さんを助けるためにうまれてくる。
また、命って大事なんだよってことを人間に教えるために生まれてくる子供もいる。
でも、なんでそういうイヤな言葉を使うようになるの?
物事には必ず「作用・反作用」という道理があって、何もないのに突然悪口を言うハズがないんです。
つまりどういうことか?
子供の周りに「悪口」を言う人がいるから。
子供はそれを「真似て」しまうだけ。
コレ・・・親が悪口言ってる場合がほとんどですよ。
子供にとって親っていうのは絶対の「愛」の対象なんですよね。
大好きで大好きでたまらないわけです。
そんな大好きな人が使ってるわけだから、真似するぬのも当然!
そして、その悪口言ってしまうのは「欠点」でありますのよ。
気がついたらですね。なんとかして直そうとするわけです。
だけど、そういう欠点というのは無意識の中で生まれてきているものだから、なかなか直らない。
これはまるで、百メートルの上空から地上に落ちている縫い針を探すようなモノです。
コレ、欠点を探すのに夢中になってしまって・・・。
いつもイライラして大変になってくる。
だったらば、欠点を直そうとしないようにしたらいいかもしれない。
まてよ・・・欠点を欠点とするのではなくて、「欠点」は自分以外の他者が探してくれるモノさ~。
他者が探してくれたら万々歳。
素直に従っていればいいんじゃない。
つまり・・・
〇 誰かが助ける・注意する・声を上げる
こういうことが出てくるハズだから・・・
(それならば、こういうことを他者に言える力の育成も必要になってくるけどね~)
欠点を欠点と思わずに、「宝物」って思ってみたらどうかしら。
掃除機言って・・・違った!
正直言って、欠点というのは単に「欠けているところだよ~」ってこと。
人間は完璧じゃない。
あっちこっち欠けているところだらけの不完全生命体。
私もそうです。
だって人間だもの・・・
そんな欠けている所をですね・・・・
あの世の世界での専門用語を使うとしたらですよ・・・
「不足」している・・・と言うわけです。
そういう不足はですね。
足りない部分はですね。
誰かが気がついてあげて、一緒にゆっくり出来るところから直していけばいいんじゃない。
完全に直るのは厳しいかもしれないけど、少なくとも「自分の不足」を理解して知ってくれている人がいるっていうことはすてきなことですよね~。
これってさ・・・
次世代育成・・・でしょ!
どんなですか~。