不遇な「死」はどうして起こるのか?

パパヒガ

2015年08月22日 01:09

ココのところ、膨大な問い合わせのメールへの返信をコツコツとしています。

その中で、不遇な死についての問い合わせが多くなってきました。

「事件・事故・自死によって失われる魂って、この世にどうして生まれてくるのですか?」

「子供は親を助けるために生まれてくる(特にお母さんを)とありましたが、死産や病気で短い命の子供っているじゃないですか。あれは親を悲しませてまいますが、それでは助けるってことにならないですが、どうしてですか。」

「戦争や災害によって、何の積みもないひとたちが亡くなります。あれはどうしてですか?」


私は日ごろ、この世に生まれてくる子供達は二つの宿命をもって生まれてくるというお話をさせていただいています。


ひとつは、親を助けるため(特にお母さんを)。

もうひとつは、人間に命の大事さを教えるために・・・です。


不遇な死・・・これは人に命の大事さを教えるために生まれてくると信じています。


不遇な死・・・。


その死は耐え難く悲しいですよね。


親より先に亡くなる悲しみ。


いきなりやってくる予想だにしない死。


そのことによって人は、命は一つしかないものであり、お金には変えられない尊いモノであると知ります。


先日、大阪にて女子中学生殺人事件が発生しました。

さきほど、同行していたと思われる男子中学生も遺体で発見されたそうです。

たいへん痛ましく、許しがたい事件であります。


重要参考人として、45歳の男が警察で取り調べを受けているそうです。

早期の解決を心より望みます。


こういった事件が発生する要因とは何でしょうか。


ココえは数えられないほどの要因が出てくることだと思います。


マスコミやネットでは、親の監督が行き届いていないとか、犯罪に巻き込まれるような行動を取ることに問題があるとか、たくさんの憶測やバッシングが出てきています。


それは否定できな事実ではあるかと思いますが、その未成年に危害を加え、殺害してしまう大人について。

そして、未成年が殺人に巻き込まれてしまう社会体制の未熟さに悲しみを感じてしまうのも事実。


こういったことでなくなる命。


回りの大人たちのちょっとした気遣い、気付きが、大事な大事な命を守ることになるということ。

それを気付かせてくれる命もあるということ。


つまり、理不尽な扱いを受けてしまう魂の役割とは・・・・


こういったことを繰り返さないように、進化していって欲しいという役割を持った魂もいるということではないでしょうか。



子供は家族を幸せにしたいと思っている。


でも、家族のみならず・・・、否、家族ということだけではなく、人間社会全体の幸せを願う魂も存在している。



「もうこんなこと・・・二度と起こしちゃだめよ・・・」



この世に生まれることのかなわなかった命・・・。

産まれてすぐに、神の元に帰らざるを得ない命・・・。

生まれて死ぬまで、苦痛にさいなまれる命・・・。

健康な身体に生まれたにも関わらず、事件・事故・自死という宿命を背負った命・・・。


無意味な「死」というものはこの世に存在しません。


絶対にありません。



この世に生まれた全ての魂には、それぞれ何かしらの役目があるわけです。


自分がどのような宿命を受けているのか・・・・。


それは神のみぞ知る。


でも、先祖はどんなことがあっても子孫を助けます。



死に追いやることはありえません。



神の配剤です。


生まれてくる魂と、神との事前協議ですよね・・・。


私はそう信じています。




追記・・・

先日の特別セミナーにおいて、「ヨーカビー」のお話をさせていただきました。


その中で、旧暦の8月9日からヨーカビーが始まるとお話させていただきましたが、間違いがありました。

8月9日からではなく、8月8日が正しいです。


訂正してくださいませ。


間違えてお話してしまい、申し訳アリマセンでした。


深くお詫び申し上げます。



比嘉でした。


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