親の「徳」をかじる 13歳まで。13歳からの…

パパヒガ

2013年11月25日 20:50

「親のすねかじり」ならぬ、親の「徳」かじる。13歳までの育ち方。13歳からの育て方。

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三つ子の魂百まで

子育てに関する格言ですね。

この格言の解釈は色々あると思います。

3歳までのしつけが基礎となり、そこで身についたことは、その子の一生を決める。そんな意味合いです。

では具体的に、3歳までどう育てていけばいいのでしょうか。
そう聞かれて即座に答えることが出来るかしら…。

あれ?どうすればいいの?

人間と動物の決定的な違いって何でしょう。

言葉じゃないでしょうか。

もうひとつ。密着度ではないでしょうか。

「おはよう」「ありがとう」「おやすみ」「大好きよ」
その言葉の上に必ずつける言葉。

子供の名前ですね。
子供にとって「親」というのは、「大信頼」できる人なんですね~。

別の言い方をすれば、初恋の相手とも言えるかもしれません。

もう、その人しか見えない。見えてない状態ですわ。


また、動物の世界において、親と赤ちゃんの距離は、ほぼ密着状態です。距離がほとんど無い。ゆえに、顔を近くで突き合わせる。

しかし、人間が二足歩行を獲得した時から、人と赤ちゃんの距離が離れてしまいました。

密着度が下がり、顔を突き合わせる距離も時間も、格段に減ってしまったんですね。

つまり、3歳までの育て方というのは、声掛けをし、子供との距離を出来る限り近づけて接近する。
顔を突き合わせながら喜怒哀楽を表現し、「楽しい」「かなしい」「嬉しい」「淋しい」という子供の表現を、しっかり見てあげることではないかと思ってます。

ここで培われるのは何でしょう。

私はこう思います。

この段階の子どもにとって、「親」というのは、「いつも自分を見てくれる存在」であり、それは「絶対的な信頼をおける人」なのです。

この「親」に対する想いは、その後の成長にとって非常に大事なことであるというのはなんとなく理解できることかと思います。


「人生で必要な大事なことは、全て幼稚園の砂場で学んだ」という本をご存知でしょうか。

保育園と違い、幼稚園では「規律」が厳しくなり、行動の「束縛」や「協調」が求められます。

何故、そう厳しくなるか?

それは、子供達が「社会性」に適応するための最初の関門が「幼稚園」だからです。

子供達同士の集団の中での自分の動きも、ココで多くを学ぶことでしょう。

次に待ち受けているのが、6年間の小学校生活です。

ここまで、この子供達が育っていくには、学校や周りの影響もありますが、やはり親が一番の教師となることに間違いはありません。

親がいかにしてここまで育ってきたか。「愛」を感じてきたか、与えてきたか。どういう人生経験と「誠実さ」を備えてきたか。

親は「他人」からどんな評価を受けてきたのか。

子供達は、親の背中を見て「マネ」をします。言葉使いに始まり、挨拶の重要性、学び方、生活習慣、掃除の仕方、笑い方、怒り方、悲しみ方。
人への接し方、愛し方・・・。

いわゆる、親御さんが生きてきて体得した経験、「徳」の積み上げによって、子供達は育っていくわけです。

親のすねではなく、「徳」をかじって栄養にし、同じような考え、行動をとって、それが周りから評価されていくんですよ。


ですが、13歳近辺。つまり中学生になるころからはもう、「親の徳」はかじりません。


そこからは、「自分自身の徳」を積み上げて生きていかなくちゃならないんです。

「徳」の親離れですね。親は子どもが自分で「徳」を積み上げていくための「子離れ」をするんですね。


子は「自立」という、自分自身の足で歩いていくための試練に悩まされます。自分はどういう存在なのか。将来はどうなりたいか。

ここで、彼らの人生設定の「背骨」ともいえる価値観が非常に大事になってきます。


この価値観はいつ、どこで形成されたか?

絶対的な基礎となるものがどこにあるか?

そうなんです。3才までに獲得した「親への信頼感」なんですよ。

13歳とはいえ、まだまだ子どもです。自分で羽ばたくにはまだ恐さがあります。

でも、「自分を見てくれる絶対的な存在」という「安心感」は、彼らを大きく羽ばたかせる原動力になりますよ。



巣の遠くで見守る親鳥。子どもは恐る恐る巣の外に歩み出す。視線の先には親鳥。

彼らは親の羽ばたき方、愛し方を、見て、感じています。

「エイッ」と意地を出して空中に飛び出し、力いつぱい親鳥のもとへ飛び出していくんです。

そして、「飛べた」と体感して、そして、やがて・・・自分の思うままのところへ飛んでいくんです。経験を、自らの目で、身体で積んでいくんですよ。



生まれてから幼稚園くらいまで、親は、目と手を離さずに育てていきます。
手取り足取りです。

やって見せ、言って聞かせてさせてみせ、誉めてやって育てていきます。


小学生の間は、目を離しますが、手は離さない。 自由を手に入れるこの時期です。多少のことは目をつぶり、しかしながら、規律や道徳についてはゆっくりと手を引いて学ばせる。自分の力でどうしようもない時、せいいっっぱいやっても解決できないとき、そっと手を差し伸べるんです。


中学生の頃(13歳ころ)になれば、目を離さずに、手は離します。

自分自身の翼で羽ばたいていくのです。親はまさしく字の通り。

木の上に立って、我が子を見つめるだけになるわけです。


13歳ころまで、子どもは親の獲得してきた「徳」をかじります。積み重ねてきた徳が多ければ多いほど、子どもはたくさんの「徳」をかじります。そして、自分のモノにしていきます。

自分を大事にする。人を大事にする。愛を知る、与える。規律を知る、守る。安心する、冒険する。反省する、振り返る・・・。


これを「チジウリ」とも言います。


親の性分子に移り・・・

さて、自分にはそんな「徳」はないかもしれないという方へ・・・。

いい本がありますよ。


① 「人生で大事なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ」


② 「名護親方・程順則の琉球いろは歌」


以上でした。

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