「プラセボ」・・・偽薬
プラセボとは、有効成分を含まない(治療効果のない)薬のこと。
病気のとき、“薬を飲んだだけで安心した・・・”という経験はありませんか?
有効成分が入っていない薬を飲んでも、薬を飲んだと思うだけで心理的作用が働き、効果を表すということがあります。これを『プラセボ効果』と言います。副作用についても同じようなことがあります。薬の副作用に敏感な方は例え中身がお菓子であっても薬の形をしているだけで飲むと具合が悪くなるものです。また,精神科のような,こころの病の場合は,治療をうけるということは薬だけの効果ではありません。かなりひどい状態であった方でも,病院に来て,医師の診察を受けて病状の説明をされ,スタッフと話をするだけで,薬を飲まなくても次第に快方に向かわれる方は珍しくありません。患者様の自力で,あるいは自然に治るという場合もあります。
鑑定依頼者がユタさんのところに行き、運勢判断をしてもらう。
そして、「ドコドコの拝所に行って拝みをしないとだめですね」と言う。
鑑定依頼者はユタさんと一緒に、供物や線香などを持って県内アチコチの拝所に行きます。
供物を拝所に広げ、たくさんの線香とウチカビ、シルカビを出し、ユタさんんを中心にグイス(祝詞)が唱えられます。
ユタの修行をした人ならまだしも、そうでない人がグイスを聞いても、いったいぜんたい何を言っているのかわかりません。
また、グイスは沖縄方言で語られ、特殊な言い回しも存在します。
これは長年の伝統儀礼のひとつであり、文化という面では大変すばらしいものであると思います。
私もユタさんの末席をかじった人間。
このグイスは大変ありがたく、そして感謝と祈りに満ち溢れた言語であります。
ただね・・・、このグイスを鑑定依頼者さんと一緒に唱えられるなら最高です。
その意味を熱意を熟知し、神に対して、ご先祖に対して唱えることが出来たらば言うことなしなのです。
しかし、実際にこれを覚えるとなると大変。
メモせず暗記して唱えるとなると、一日や二日では到底覚えられるものじゃない。
だから、拝みの最中の依頼者は、ユタさんが唱えているのを、傍で聞いているのです。
「いったい何て言っているんだろう?」と思いながら・・・。
では、教えればいいじゃない!って思いますよね。
それがまたダメなんです。
一般の人がコレを唱えるべきではないという考え方もあるんです。
これは線香の数もしかり。
一般的に使われる線香は、3本、12本、15本。
でも、拝みに使う線香の数は、3本、5本、7本、9本、12本、15本、24本、そして、各数の組合せも存在します。
3本と5本と7本と組合せとか・・・。
これも一般の人が使ってはいけないとされています。特に24本線香は、別名「神御香」とも呼ばれ、ヘタに使うとウブサ(憑依)するらしく、素人が使うことは厳禁だそうです。
あのですね・・・
普通に見たこともない供物や、尋常ではない線香の束。そして大量のシルカビにウチカビ。
早口で唱えられるグイス。そして供物。拝所の独特の雰囲気。また、たくさんの拝みをする人々・・・。
この状況にいると、だれだって「有難み」が心の奥から湧き出てきます。
「いやぁ、拝み終わってからなんとなく気分が落ち着いたな」
「拝所ってパワースポットみたい。いるだけで落ち着いた」
「あれだけの線香とウチカビ使ってやったんだから、効果抜群だろうな!」
そう感じる方も多いと思います。
たしかにこれで大丈夫な場合をありますよ。
しかし、何かしらの問題を、「拝み」だけで解決しようとするのは間違いであり、全てを「拝み」と結ぶつけたり、「ウガンブソク」という言葉で片付けてしまってはダメなんです。
「拝み」は「プラセボ」であってはいけないんです。
「拝み」は感謝であり、足りないところの補充をお願いするものであり、努力を約束するものでもあるんです。
人は病気になると医者を頼ります。たくさんの病気の知識と技術に頼ります。
しかし、医師はこう言います。
「病気を治すのは私たちじゃありませんよ。患者さんの努力が必要なんです。」
「医者は患者さんの手助けをするだけなんです。病気を治す一番の要は、患者さんの、『治そう』という気持ちなんです」
これはまさしく、拝みの基本を言い表していると言っても過言ではないと思います。
ユタが「直す」「正す」のではなく、依頼者さんの「直したい」「正したい」という気持ちが優先。
ですから、まずは人間の努力をいーーーっぱいやってみて、それでもダメなら・・・・です。
ユタに行ったから気分良くなったとか、拝みしたから気分良くなったでは足りない。
そこから始まる明日へのステップアップが一番肝心ですよ。
拝み、儀式儀礼をプラセボにしてはいけません。
人は必ず幸せになれます。
その方法は多種多様。
拝みだけでは解決できないということを知ってほしいと思います。