六徳図を貼り付けしておきますね。
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「あっ、この洋服・・・いいわぁ・・・。試着してみようかしら。」
よくありますよね、こういうの。
さて、そこでです・・・。
「残念なマブイ」を育てるか。「満足なマブイを育てるか?
あなたはどっちだ!
残念なマブイ(以後・残マブとする)を育てる場合の行動は・・・・。
試着したい・・・でも、試着したら買わなきゃいけないかな・・・。勧められるよね・・・断れるかな・・・。
いいか。わずらわしいのは面倒だし。それによく見たら値段も高いし。どうせ今は買えないしね。
満足なマブイ(以後・満マブ)を育てる場合の行動は・・・。
試着してみよう。買う買わないは別として、先ずはね・・・似合う似合わないも別として! 勧められるかもしれないなぁ・・・そんなの当たり前。
だって、店員さんは勧めるのが仕事だもの。値段高いよね・・・。今は買えないかもしれないけど、気分は変わるわよね。
「一歩進む力」があれば満マブが育ちます。
一歩進む力の低下=残マブが育ちます。
残マブを育てるのが得意な人は、残念であることを「他者のせいだ」と考えます。
満マブを育てるのが得意な人は、満足であることを「自分のおかげ」だと考えます。
例えば・・・・というか、実体験の話し・・・しかも本日ホヤホヤの話し。
これからの話は批判じゃないですよ。よーく本質を見極めてくださいね。
本日、とある新春イベントに参加してきました。
地域の餅つき大会です。
杵と臼、そして蒸したてのもち米。きな粉にあんこ。ホカホカのお餅をみんなでついて、みんなでいただくというイベント。
スタートから大盛況で、蒸したもち米を臼にいれ、杵でついてついてついて・・・食べて食べて食べちゃって。
ドンドンお餅をついても間に合わないくらいだったんです。
大人も子供もついていましたよ。
そしたら・・・
「お餅つき出来るって聞いて来たのに、つけないじゃないですか! 内輪の人だけでやってるイベントじゃないですか。こんなのもう帰ります」
そう言ってお帰りになった御家族がいらっしゃたんです。
なんだ、なんだ・・・・。どうしたんだ?
残マブの典型的な状況です。
私は、餅をついている現場をずーっと見ていました。誰でも自由につける環境でした。つこうと並ぶ列もありました。
並んでいる人たちは、ほとんど初参加の方たちばかり。内輪の人間(イベンター)は、サポート役でしたのよ。
残マブ・・・一歩前に踏みださない。
並んでいた方は、「つけるんですか?」 「ついていいですか?」と、
問いかけていらっしゃいました。
この問いかけが、満マブへの第一歩なんです。
残マズさん・・・きっとそんな問いかけをしなかったんだろうな・・・・って思います。
そして、自分が出来なかったのは・・・「主催者のあんた方のせいだ」といわんばかりのセリフを残して去っていきました。
残念です・・・。ホントに残念なマブイです。
こういう残マブの持ち主は、周りにも残マブ光線を撒き散らします。厄介です。伝染するからです。
「内輪だけでやってるだろ」・・・・それはもうすでに、自分自身がこの場にいるべきじゃないという「前提」が、残マブにはあるからこそのもの。
餅つきの「輪」に入りたいという「前提」があれば、「内輪だけで・・・」という言葉が出る前に、「自分もこの輪の中に入ってみよう」となると思います。
残マブの行動は、全てを「他者から自分への、受身の関わり」からスタートします。
満マブの行動は、全てを「自分から他者への、能動な関わり」からスタートします。
残念・・・という感情は、すぐに「怒り」へと変化しやすいです。
「お餅つき出来るって聞いて来たのに、つけないじゃないですか! 内輪の人だけでやってるイベントじゃないですか。こんなのもう帰ります」
もったいないなぁ・・・。
ただ単に通りががった外国人さんたちも、餅つきの列にならんでいたのになぁ・・・。
ちゃんと手を引いてあげて・・・
「よしよし、やりたいのね。やってみたいのね。わかったわかった。さぁ、おいで、一緒に並ぼうね。怖くないよ。杵を渡してくれる人。臼を押さえてくれる人。お餅を時々返してくれる人。もち米を蒸している人。みーんな知らない人だけど、支えてくれている人たちだからね。あなたが餅つきするのを嫌がってるのではないからね。喜んでくれるんだからね。すごいねー。」
・・・そうやれば良かったのかな・・・。
私より年上の男性にそう言うの。
お子さんがいて、奥様もいて。
しっかりしたお父さんらしい方に、そう言うの?
一歩進めない人だからしょうがないよ~、子供さんたちが寂しそうにして帰っていたけど・・・しょうがないのよ~
ダメよ~・・・ダメダメ!・・・てか!
自分で自分のマブイを育てる。一歩進む。出来るところからでいい。ゆっくりと確実に!
マブイを落とさずに、
しっかりと生きていくヒントのひとつっすよ!